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第9,10号合併号   NEWSLETTER   大阪地域医療ケア研究会   2005年4月20日発行


第2回セミナー 2004年11月7日(日) 「介護保険制度5年目の検証!!」
「介護保険制度と地域医療」

 岡本クリニック 院長 岡本 祐三 氏

 介護保険に関して言えば、大筋において成功しています。
当初利用者は2000年度、170万人〜100万人。特養・老健合わせて利用者が12万人〜56万人弱。グループホームは12ヶ所あったのが5400ヶ所。ホームヘルパーは実働で約40万人。合わせて140万人の雇用が生まれています。在宅の女性の労働力創出も約60%上がっています。

 昨今の厚生労働省の新介護給付は無茶苦茶で、裏付のない思いつきだけの理屈が飛び交っていて数値目標は出ているけど中身は何も決まっていない状態です。問題は、新介護給付に適応する人としない人が居るということ。現在、要支援、要介護1の方の利用者は全利用者の50%ですが、その人達が使っている給付は全部合わせて20%で、訪問介護に至っては全給付のわずか4.5%(237億円)です。また、要介護1で特養・老健に入所している方が多く、その費用が188億円かかっています。訪問介護に匹敵する要介護1の方が施設に入所している事実をきちっと見ていかないといけません。要介護1でなぜ在宅生活を継続できないのか。このような問題を議論してから財政問題を議論しなければ何の解決にもなりません。

重要なことは、要支援、要介護1の人が介護保険給付の直接的な受益者であり、自らサービスも選択できるし、自分自身の生活が直接社会サービスでより快適な質の高い生活となっています。要支援、要介護1に認定されて、掃除はしてもらえる、お風呂も洗ってもらえるとすごく喜んでいます。このような人達は、お互い横のつながりで「介護保険使ったらいいよ。」と口コミで伝える、介護保険制度にとって重要なサポーターです。
高齢者社会への直接的な受益者であるこの人達の間で、この制度の人気を充分高めておかないと今後、保険料が上がってくる時にいろんな意味でケアしていかないといけない。
大筋において介護保険は家族介護の呪縛に閉じこめられていたニーズを社会的に開放するという意味ではとても上手くいったのではないでしょうか。

会場におられる皆さんも自分は一体どこでどういう風に死ぬんだろうとイメージできなくなっていませんか?現在は、死に方もわからなくなっている時代。独りで死ぬというわけにはいきませんから、誰か支えてくれるということは大変重要です。

図1は、アメリカ人がおこなった研究ですが、死にゆく過程の軌跡で四つに分類されています。

A)高齢者型。
 次第に老衰が進行して徐々に機能が落ちていく。転倒などで骨折して機能が落ちるんだけど、支えることにより機能も持ち上がり、また落ちる。最後に死がやって来るのが老衰です。

B)進行性の疾病。
一定のペースで悪化していき「終末期」がある場合。悪性度の高い癌なんかがこういう形なんでしょうね。

C)深刻な慢性病。
難病や悪性度の低い癌などがこうでしょうね。悪化状態を反復しながら落ちていく。

D)不慮の原因による突然死。
ずっと健康なんだけどある日突然死がやってくる。不慮の原因。不能の事態。なかなか病気ではこういう形で死ねません。

50年前の人の死に方は、B),C)のような形で比較的急に亡くなっており、看取り三月(みつき)という言葉がありました。高齢者の場合、三月(みつき)頑張って看取りをすれば、あの世へ旅立っておりました。

 歴史的に在宅医療、往診医療というのは町医者の原形としての機能でした。僕の子どもの頃は、町のお医者さんは向こうから来るものと思っていました。こっちから行くんじゃなくて、往診はあたり前、病人が出たら本人は動かせませんから医者の方からやって来る。だから戦後20年代は、町医者の先生方は自転車でしたね。水平の往診カバンを巻き付けて来て、あたり前の医療形態でその時のニーズは急性疾患でした。

 1950年頃から、癌、心臓病、脳卒中、慢性型の疾病、生活習慣病。それと同時にモータリゼーション時代マイカー時代になりますと家で病人が出ても病院へ運べるので、家族が患者を車で運ぶようになります。マイカー時代が始まると共に往診が無くなってきました。救急病院も出来てくるし、厚生省も往診医療を弾圧するようになりました。往診医療を切り下げて「効率の悪い医療をするな!」「診療所で多く診なさい!」ということで、1950〜70年代にかけて往診医療は減少していきました。

 ところが1980年代にきてまた在宅医療というものが復活しました。その対象者が動けなくなって医療機関にアクセスできない高齢障害者です。脳卒中の後遺症や慢性疾患で動けない、そういう人達にとって医療の方から出向いて行かないといけない。徐々に介護とか高齢の障害者が多くいる老人病院が報道される中、「在宅で診よう!」ということが盛んに言われるようになりました。これは医療法でも訪問看護ステーションの設立とか在宅総合診療制が取られるようになったのが1996年頃です。画期的な制度ですね。在宅総合診療制がしかれると開業医の中にも往診が盛んになりました。

 介護ヘルパーが出てきたのが1995年から。そして介護保険という大きな恐竜となって介護ニーズというものに対応しなければなりません。

 図2日本の脳卒中の死亡率の経過、それまで脳卒中は死ぬ病であった。1970年代まで日本人の死因第1位ですが、これが障害を残す最大の原因疾患に変わっていきます。
日本の原点60年代からの疾病の構造の変化は世界的に特異なもので脳卒中はこれだけ死亡率が減った日本の医療・公衆衛生の輝かしい実績なんですが、脳卒中の死亡率を減らした後のこと。死亡率は減ったが障害だけを残してしまうということを医療も行政も公衆衛生も意識していなかった。
2000年の介護保険の導入時に、単品サービスではなく医療と介護と看護、あるいはリハビリ、そういうものを一体化したケアマネージメントとして新しく在宅ケア、往診医療もその中の重要な位置を担うということになりました。
そこでどうして医療というものが軸にならざるをえないかを申し上げたい。

 1960年頃、病院での死亡が20%で戦後40年間で世界最高率の80%に日本は届いています。
カナダ、ノルウェーと並んで病院死の割合は世界最高です。50%のラインのところにヨーロッパの国々があるわけです。いかに日本の社会の4,50年の変動が世界的にみても特異なものだったことがわかります。ヨーロッパの諸国は、介護施設で多く亡くなっています。オランダでは在宅死が多く、日本だけが病院死が多くなっています。

 60年代の分娩も40%位は在宅で産婆さんがやって来て取り上げていました。結論的に言えば分娩も死ぬのも在宅だった。生きるステージと死ぬステージが在宅から社会へ出てしまった。
これが大きな変化で、もう一度死というものを家族の中で、在宅で完結したいという流れが出てきて、それが在宅ターミナルケアであり、介護の次に死というものがあるそのところを在宅医療で補おうということです。

■プロフィール■(敬称略)

岡本 祐三 氏
国際高齢者医療研究所 岡本クリニック院長
http://www.geriat-clinic.com

大阪大学医学部卒業(1967)
金沢医科大学客員教授(1999-2001)
阪南中央病院内科医長・健康管理部長(1974-1996)
神戸市看護大学教授(1996-2001)
大阪大学医学部講師(1990-1998)
米国・NY・マウント サイナイ医学研究所客員教授
(1996-97 老年医学研究)
厚生省 高齢者介護自立支援システム研究会委員
(1997-2000)
痴呆ケア研究検討委員会委員(1998-2000)
NPO 介護保険市民オンブズマン機構大阪 代表理事(1999-)
兵庫県介護保険サービス苦情処理委員会会長(2000-)

<主な著書>

アメリカの医療と看護(医学書院)
アメリカの老人医療(勁草書房)
医療と福祉の新時代(日本評論社)
高齢者機能評価ハンドブック( 訳 医学書院)
その他多数


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