赤ひげ時代の医療 赤ひげ先生で有名な小石川療養所。1722年に貧困者・独身で看病人のない者などを収容する救療施設として開設された。その他、長崎養生所、佐倉養生所などが開設され、最新の西洋医療で病人の治療にあたり、人々を救ったのが在宅医療のはじまりではないでしょうか。 また、三味線を携え農村・山村を巡る盲目の女性遊行芸人である越後瞽女(ごぜ)という集団がありました。一年のほとんどが旅で明け暮れ、目的の村に着くと家々を門付けし、瞽女宿という泊まりつけの家に荷をおろし、夜になれば村人が集まり瞽女の本領である段物や口説、民謡などを聞かせて、さらに農婦の気持ちを黙って聞いてくれたとのことです。江戸時代から昭和54年頃まで存続しましたが、私は、瞽女が訪問ケアの原点ではないかと思っております。
雪国の地域医療事始め 一人でも出来るような医療をやってみようと思い、東京から新潟に移り住み1年契約で勤めた先が、国保町立大和町診療所でした。入院患者はおらず外来だけでしたので、そこで往診をはじめました。半年ほど続けると冬になり、孤立している町内の集落(2箇所)へ出張診療に出かけます。診療所での外来を済ませ昼食もそこそこに出張診療のクルーが出発します。医師1名、看護師1名、役場の保健師1名、運転員1名の4名です。雪が多いこともあり、大和町の裏側からアプローチし、車で40分で山麓のお寺に到着。ここでかんじきを履き荷物を分担して背負い1時間半山へ登る。村の学校で診察をし、5時頃終わるや村内の往診を2〜3件こなして仕事は終了する。これからが楽しみで、区長さん宅で夕食のご馳走にありつき、山菜料理、鯉料理など地酒もふるまわれ、村人の心からの歓迎に疲れはどこかにふっとぶ。私は、この雪国の雪人との出会いから、この地にとどまって地域医療に頑張ろうという決心をすることになりました。 そこ頃、岩手県沢内村(国保沢内病院)の健康を守る村をあげての運動と医師の理念に共鳴して、小さな町で1人の医師でも地域医療はできるという感触をいだくようになりました。そして、佐久総合病院を中核とした農村医療の仲で、全村の健康管理のモデルとなった八千穂村に学び、そのモデルとして、冬期間孤立する町内の2集落で、健康を守る事業を始めました。健康教育、検診、健康台帳、健康手帳などに取り組みました。
医療、保健・福祉一体化をめざす 「大和方式」の提案 地域での健康に関する組織や運動に支えられながら、大和医療福祉センター(病院・保健センター・特養)を核として、「大和方式」が全国的にアピールすることになった。 この実績を背景として「医療・保健・福祉連携ユニークセミナー in Yamato」を企画することになった。1泊2日で、大和町の現状の紹介、厚労省の課長クラス、一流の関係者等の講演やシンポジウムを年に2回ほど行っていました。これも大変評価され、全国から結集し熱心な討論も展開され、地域との一層の交流を深めることになりました。
健康やまとぴあ事業 この事業は、大和町にすでに存在する社会的資源をつなげるだけで、1つの事業にしようとするものです。社会資源としては、(1)大和総合病院にて人間ドック (2)大和総合病院の薬草園 (3)地元温泉旅館での地元料理と薬草風呂 (4)有機農業による産物の提供 この(1)〜(4)のサービスを2泊3日でプログラム化し、主として都市部からお客様を募るというものです。 マスコミの報道もあり、全国からの参加者を得ることが出来、現在も続いている事業です。
医療法人萌気会の事業所 平成4年6月にオープンした萌気園診療所は、在宅ケアに専念し、13の事業所をつくりネットワークによるサービスを展開しています。 1.事業所 ・無床診療所 2ヶ所 ・通所リハビリ 2ヶ所 ・通所介護 1ヶ所 ・訪問看護ステーション 1ヶ所 ・短期入所(併設) 1ヶ所 ・グループホーム 1ヶ所 ・ヘルパーステーション 1ヶ所 ・在宅介護支援センター(受託) 1ヶ所 ・無許可保育所 1ヶ所 ・居介支援 2ヶ所 2.関連事業 ・老人アパート安心ハウス運営 ・許可外託児所「もえぎ・なかよしの家」 3.協力事業所 ・調剤店 2ヶ所 ・もえぎ歯科診療所 ・社会福祉法人桐鈴会(ケアハウス、ヘルパー ステーション、グループホーム) 4.1ヶ所の診療所を総合的診療所とし、パートも含めて12の診療科をもつに至りました。スローケアフレンズの範囲で、在宅療養者に必要あれば専門医の往診が可能です。 5.NPO:ネットワーク 平成5年、開業医の往診をNHKのホットモーニングに放映、その際コメンテーターであった私は、高槻市『なかじま診療所』と名古屋市の『あいち診療所、野並』を知り、そのユニークで生き生きとした活動に感動し、自分の目の鱗のおちる思いをしました。 そこで、「こうした仲間は全国にたくさんあるはずだ!連携をとって一緒に歩みたいと!」との思いから三者会議を持つことになりました。こうして、平成6年名古屋で準備会、平成7年東京で第1回全国の集いを開催することになりました。 私は大和総合病院時代、在宅ケアも十分わかっているとのおごりがあったが、実際はデイケアもはじめて知るところとなり、早速仲間のマネをして、在宅ケアのメニューを増やしていくことになりました。 そのNPOは、第10回全国の集いを催すまでとなり、多くの同志を得て若い世代が主人公として自信をもって活躍できるようになりました。 人の価値とは(ヴィクトール・E・フランクル/オーストリアの心理学者・精神科医。1905-1997) 心理学者であるフランクルが第二次世界大戦中に、ナチスにより強制収容所に入れられ生還したときに本書『死と愛』で独創的な心理学説を世に問います。 骨子をいくつか要約すると、人間が実現しうる価値は3つあり、まず「創造的価値」。人間は活動を通じて創造を行うことができる。次に「体験価値」。人間は自然や芸術に触れ感動を体験することができる。ここまでは育ちや環境に影響されうる価値であるが、第3に「態度価値」。これが最も偉大な価値であり、変えることのできない運命に対して人間としての勇気と品位を維持することである。「態度価値」を示しうる限り人間の実存は無意味になりえない、と説きます。 終末期(高齢者・病気)の人の価値は、第3の「態度価値」に値するのではないでしょうか。 在宅医療にたずさわっていると人間のドラマというか、本当の涙・よろこび・つらさも含めて在宅医療をするということが医療のロマンだと思っています。また、常に「私たちは今どこに立っているのか」ということを自分に問い続ける必要があるのではないでしょうか。