医療の変化 当時1980〜1990年代にかけて、医療と人々の暮らしの関係が大きく変わっていった時代です。子どもを産むのも、病気を治すのも、亡くなるのも病院でなくてはいけないという風潮が定着した時代です。救急医療に投じられた新しい先端的技術が死の間際の患者さんにも適用されるようになりました。当時スパゲッティー症候群といわれる状態が癌の末期の患者さんの当たり前の姿でした。そういう中で、病院に頼っていた人々にとっては病院というのが怖い存在になり、そこに行くと何か恐ろしい事をされるのではないか。出来れば行きたくない。頼りたくないというように逆転していきました。 私自身も麻酔科医として14年目を迎え、外科の手術をしっかりサポートするのが自分の役目だと思って頑張っていました。当時はそれまで取れなかった肺や食道、すい臓、肝臓が取れるように、どんどん手術が拡大していった時代です。肝臓癌の手術を大変な思いで成し遂げました。しかし、術後は惨たんたるもので、そのまま一般病棟に帰れなくて亡くなる方もおられました。その中で、自分が患者さんにとって役立っているのかと麻酔に対して疑問を持っておりました。 その時知ったのがホスピスです。テレビで初めて見た時は、亡くなりそうな人ばかりを一つの所に集めて、何と陰鬱な場所だろうと非常に暗いイメージでした。でも、ホスピスに触れて、そういう分野もあるのだという事を知り、実際に痛みの治療を求めてくる患者さんの話を聞いていくと、最期はホスピスを利用せざるをえない患者さんが何人も続いていました。 そういう中で市民にアピールする研究会を発足させたり、開院したクリニックで電話相談に応じたりして、1991年に在宅ケアをスタートしました。8割から9割が癌患者さんでしたが、2006年までに平均して20人弱ですが、私と何人かのナースで定期的に訪問していました。 しかし、今年1月から4月までで、28人も看取り、これを年間に置き換えると84人という数字になります。6月までの実績は、ほぼこれを上回る数字で在宅で看取っており、今年になって爆発的に伸びています。在宅の看取りが急に増えた要因は、これまでは私ひとりが外来を診るかたわら、在宅ケアをしてきたのですが、在宅専任の医師を常勤で1人、非常勤で3人、在宅専任看護師も2人から4人にした当院の整備体制にあります。 もっと大きい要因は、「在宅死を今の倍の4割にする。」という国の政策誘導です。今は20%前後ですが、癌に限って言うと6%ぐらいなのです。これを倍にすると言っています。2007年4月「がん対策基本法」というのが出来ました。これは2006年度の公共政策の大転換が背景にあると思います。在宅療養支援診療所制度の施策を始めとして、様々な施策が取られてきました。この基本的な流れというのは、医療費の適正化、削減ということです。 これ以上、医療費を増やさないという政府の意図と在宅死を増やすという所に結びついていることは明らかです。昔は「こんな患者さんが入院しているの?」というのがありましたが、今は「こんな患者さんが家にいるの?」という感じが多いのです。去年から、病院の平均入院日数の短縮化という方向性が非常にはっきりしてきました。最近では病院からの紹介が激増しています。 それからターミナルに限っての話しですが、退院してから亡くなるまでの日数が非常に短く、12〜13日です。大変な状態の時に何の説明もなく病院から退院して来るのです。そのため患者さんや家族の認識は低いのです。昔、私が在宅ケアを始めた頃はみんな認識していました。どういう事態であろうとも、家で過ごしたいのだから頼むというお互いの理解がありました。でも今は、相互理解もなくコミュニケーションが成り立たないうちに患者さんの具合が悪くなって亡くなっていくというケースが増えました。また、介護者の困難さも増加しています。
様々な在宅事情と支援 在宅ケアを全く知らなかったSさん(77歳 男性) 坐骨神経痛、痛風で私のところに数年来通院していました。高血圧症、糖尿病、慢性心不全、C型肝炎、肝癌などでしばらく来ないと思っていたら突然肝不全になり2ヶ月間入院されていました。本当に死線を彷徨っていたらしく、大きな褥瘡を2つ創って帰ってきました。市営住宅住まいで妻との二人暮らしです。奥さんは、最近子宮癌が見つかり手術をして帰ってきたばかりです。息子が近隣にいますが、共働きなので介護の手としては、役立つ状態ではありません。 子宮癌の手術をして帰ってきたばかりの奥さんをSさんが使用人と思っていて、褥瘡の処置、体位交換、排泄、入浴、全てが困難で一人ではできず、何でも言いつけるのです。奥さんは腰が痛くて曲がっているのに「はい、はい」と言いながら介護していました。病院で助かったのにもかかわらず、病院で殺されるところだったと思い込み、絶対病院には行かないというのです。奥さんは「こんな汚い狭い家に来ていただいて申し訳ありません。私が今度入院したらどうなるのでしょうか。」『どうなるのでしょうね。僕もわかりません。困りますねぇ。』「家で死んだら警察に捕まるのでしょうか。」こういう方は非常に珍しい存在ではありません。患者さんや家族は今の事態がわかっていないのです。この先どうなるのか、説明やサポートの手がないまま放り出されるという事態が去年の後半から広がっています。 私が当初やっていたのは、過剰な医療、処置、検査などによって苦しみながら亡くなっている方を救いたいというのが出発点でした。今は逆に放り出されてくる方、医療にアクセスできない方にどうアクセスしていけばいいのかと逆の不安への対処がメインになってきています。非常に様相が変わってきていると感じます。 暮らしと体と経済と人間関係の困難さ全てが入り混じっています。退院したいけど、入院保険の収入がなくなる。例えば50代の働き盛りの方は、自分が働けない状態で、入院していることによってお金が入ってくる。それが唯一家族の収入なのです。だから絶対退院したくないという方は少なくないのです。 最近は院外処方が主流になりました。処方箋をもらっても老々介護で薬局まで受取りにいけないのです。介護している妻が認知症というのもよくあります。モルヒネ製剤を悪くいう隣人がいて、我慢している人、介護には全然手を出さないのに、口だけ出してくる息子や親戚のおじさん。「こんな状態で家にいたらダメじゃないか。貧乏だと思われてしまうから、早く良い病院に入院しなさい。」と介護をめぐって嫁と娘の対立やかかりつけ医師が訪問看護を認めてくれない家族等、様々なのです。いわゆる医療の上から下への論理では何ひとつ解決しないのです。患者さんの暮らしの中に分け入って患者さんの心と暮らしを家族共々サポートしていくという姿勢がなければいけません。 支援が必要な時期というのは、それぞれにポイントがあります。検査を受けてひょっとしたら癌と診断が下るかもしれません。検査結果を待っている2週間はとても辛いことです。そこにサポートはいらないのか。診断がついて、第一次治療を受けるまでの苦しさ、その治療を受けて多くの場合は手術なのですが、みんな「世界が変わったようだ、あぁ生きてて良かった。」という感じを受けるらしいのです。しかし、退院するとまた再発への不安がおこってくるのです。どこかが少し痛いとか、咳が「ゴホン」と出るだけでも再発ではないかという不安におびえる日々が膨れてきます。この時に心身ともにサポートが必要になってくるのです。入院している期間というのはほんの一部で、診断から第一次治療、再発から第二次治療といった部分をカバーしているにすぎないのです。残りはほとんど在宅ですが、その時に不安とか、心身の症状にみんな苦しむのです。働けなくり、段々動けなくなって、出来ていたことが出来なくなるという苦しみと日々向き合っています。必然的に経済的な問題も出てくるでしょう。そういった様々な困難に対して、最後だけではなく繰り返し支援が必要なのです。ですから、在宅ケアは、体と心と暮らしを支える、その支援の中心は不安への取り組みではないかと考えます。