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第13号   NEWSLETTER   大阪地域医療ケア研究会   2006年6月20日発行


第4回研究大会 第1分科会 
『認知症高齢者の暮らしを支える』

基調提案 「地域で老いを支えることは」
ひかり福祉会 第二宅老所よりあい所長 村瀬 孝生 氏


宅老所とは

 みなさん宅老所というのはご存知でしょうか。宅老所というのは自宅の『宅』に老人の『老』です。私は2箇所目の『よりあい』の責任者をしています。
一箇所目は15年前に福岡市中央区に生まれました。当時、無認可で宅老所『よりあい』が始まりました。
 二箇所目の『よりあい』は福岡市南区の長住にあり11年目に入っています。ここは40年ぐらい前にできた福岡市でも最初の住宅団地になります。福岡市内で過疎率が3番目です。

宅老所と施設の違い

 宅老所は他の施設とどう違うのか、簡単に話すと通いが中心です。施設にお年寄りが通ってきます。通っているうちにショートステイ(泊まり)のニーズが出てきます。ここから他の短期入所に行くわけになるのです。ここで大混乱になるお年寄りに遭遇しました。来た瞬間から来た理由を忘れてしまう、部屋に案内しても、部屋をいったん出てしまうと自分の部屋がどこかもわからない。何のために自分が来ているかもわからない。知った顔もいない。ウロウロしていると徘徊と呼ばれてしまう。認知力が落ちているにも関わらず、混乱が重なりトイレがわからずに廊下の端っこで排尿をしてしまう。すると、放尿癖があるという感じでオムツをされ、大混乱して帰っていくという経験をたくさん見てきました。
 ですから通いなれた所に泊まるというのが安心だと『第二よりあい』に登録をされているお年寄りは20人います。その内の15人が地域から通っており、5人の実態は住んでいる状態になっています。83歳で利用し始めて90歳になった方がいます。その方をお迎えにいくと「初めての所だから緊張するわ。」と8年も通って来ているのに、建物を見ても「今日は初めてですので。」と皆さんの集まっている所に入っていかれます。この時に職員が「ようこそおいでになりました。」と顔を出すと、「あんたねぇ。」と非常に不思議な認知力を持っておられるのです。顔はよく分かっていて、いつもの集団に入るといつものおばあちゃんに戻られるのです。
 皆さん認知症を抱えることで孤立されているのです。共感的関係を他人と作れないというのは、人が社会の中で生きていく中で大きなダメージです。身体的な自立度が高くても社会生活ができない、営めない。同じ当事者が集まって人間関係、社会関係をもう一度作り直す『通い』の援助をしていこうと思っています。
ここでお友達ができ通いなれた所で泊まる、そして次の日になったら通いの集団に戻るということ。『通い』・『泊まり』・『住む』という制度でいうと別々になっている物が、同じ建物で一体になって提供をしているということが特徴的です。
 通所だけが介護保険事業で、『泊まり』・『住む』は無認可でやっています。地域の方が支援をしてくださっているということが10年間、地域でやって来られた一つの理由です。

「第二よりあい」事例  トメさん

  トメさんは96歳、3年前に入居という形になられた方です。
トメさんは、自宅の土間に落ち圧迫骨折の疑いで整形外科に入院することになりましたが、「安静にしてください。」といわれても出来ませんでした。痛みをこらえてトイレに行こうとする。危ないということで手を縛られ、それでもゴソゴソして額に5針縫うケガをしてしまいました。今度は足を縛られ、みるみるうちにおかしくなっていったと家族がおっしゃっていました。昼夜の逆転が始まって家族の顔がわからなくなり、ご飯も一切食べなくなりました。晩年に縛られて終わるのは忍びないという家族のお話と、圧迫骨折が原因で死ぬ人は果たしているのだろうかと相談があり、トメさんに必要なのは積極的な医療行為よりもトイレに行くお手伝いをするのが生活支援として適切ではないのか。そういうことで『よりあい』においでになったのです。
 来られたときは、食事は本当に食べませんでした。ある日、他の利用者から食事介助の手伝いをされたことをきっかけに取られるようになりました。食べるとドンドン元気になられて、3年前は足腰立たない状態でおいでになりましたが、徐々に回復して立てるようになりました。腰がいつも曲がっていますので腹圧がかかり、歩くたびに「ブッ、ブッ、ブッ」と音がいつもしています。姿が見えなくてもどこかで「ブッ、ブッ」と音がすると歩いているのがわかるので、その音がしたらすぐお手伝いに行き、転倒を予防しながら歩くことができました。トイレには自分で行かれるようになりました。
 トメさんは元気になったら帰るというのです。帰れることを信じています。遠くまでは行かないのですが時間をかけて歩かれるのです。手を握ってもらおうと差し出すと、その手をパーンとはじいて「わたくしと、あなたが道の真ん中で手を握りあっていたら、世間の人が何とうわさを立てるかわからん。」といって手を握ってくれないのです。
 トメさん自身が抱えている問題は、認知症の問題よりもむしろ家に帰れないというとこです。どうして自分がここで暮らしているのだろうか。どうして家族でもないこの人達と暮らしているのだろうか。それを僕らは帰宅願望が強いとか徘徊があると言ってきました。そうではなく、大事なのは帰りたくても帰れない現実を一緒に受けとめること。帰れない現実を一緒に受けとめるために一緒に歩きます。それを続けているうちに『よりあい』で暮らすという選択肢が生まれてくるのです。それが3ヶ月で落ち着いてくる人もいれば、3年、4年、5年とかかる人もいます。僕らはずっとそれに付き合うことが大事なのです。混乱は無くすものではなく、むしろ付き合うものです。混乱を乗り越えることで次の生き方が見えてくる。その混乱を僕らは排除せず、混乱に付き合って行くことを考えなければいけません。
 その人らしさはどこになるのか、その人らしさというのはその人の生活行為にぎっしり詰まっています。食べること、お風呂に入ること、寝ること、排泄も含めてそうです。その一つひとつの生活行為に全部、その人らしさが詰まっていて、80年かけて作ってきたものを感じます。お年寄りたちは段々と自分では出来なくなってきて、生活行為を人にゆだねないといけなくなってくるのです。そのことによって、自分らしさを同時に失っている気がします。生活行為をさりげなく普通の生活の中で維持していく、支援して行くことをやっていこうと思います。

ケアの本質

 ケアとは何かという本があり、ケアとは「自分の時間を相手に使う」と書いた一説があります。夜勤の時は立場の逆転がたくさんあります。お年寄りたちは、僕らが夜勤をしていると心配して起きてくるのです。「あんた、まだ起きとるとね、ねらんなん、私が替わってやるけん。」とおっしゃるのです。「替わってやるけんといっても、あんたがねらんけん、おれがやすめんたい。」と言いたいのですが、僕らを気づかっていることが多いのです。
 こんな事もあります。トメさんが飛び起きて「あんただれなぁ。」と一緒に寝ていたお年寄りにくってかかりました。この人も負けてなくて、「あんたこそ、だれですなぁ。」とここで大喧嘩になったのですが、朝になれば両方とも喧嘩をしたことを忘れており、「おはようございます」と二人で起きてこられて、物忘れがあるから生活に支障が出ますが、物忘れがあることで人間関係が円滑にいくことも結構あります。
 優秀な介護職から一対一で介護を受けても生まれないのもがあります。それは、互いに認め合う関係をもつ集団の中で生まれる笑いです。トメさんは「私はなんもおぼえておらん。」といって、横の人も「私もなんもおぼえとらん。」というと、トメさんが「あんたボケなぁ。」と聞きにいったりする。それを聞いていた人が「わたしもよぉ。」というと「あんたもボケですか。」と話が始まり、なんとなく笑いがおこるのです。言葉のコミュニケーションが取れなくなった方もたくさんおられます。笑っているということに反応されて、笑いの連鎖が笑いを生むという、他人との関係が作れない中で孤独感を感じ、そして、社会から孤立していっている人がもう一回集団の中で孤立感を解消し集団の中で一員として生きていく。そこに生活行為が生まれてくるのではと思います。

私達(専門職)がすべきことは

 どんなに『よりあい』の場で楽しい時間を作っても、地域生活ではもろくも崩れさって行きます。8時間がどんなに楽しくても自宅や地域での16時間が問題なのです。家族が自宅で介護できなくなったら『よりあい』に泊まってもらって16時間を肩代わりしてきました。それも限界があり、対応人数にも限界があります。地域でどう16時間を乗り越えるかを考えていかなくてはなりません。
 地域にはいろんな事業所がありますがみんなバラバラでした。地域も老いを見守ろうとネットワークを作るのですが結局ネットワークはあってもその中でみんなが孤立しているのです。社会サービスにつなげて終わりで、みんなが孤立でたらい回しにされていくのです。ネットワークの中で、一対一でお年寄りと関わり続けていく、事業所もいろんなネットワークを創っていますが、情報や価値観を共有するだけで、協働するネットワークはたくさんあっても、一人のために動こうとするネットワークはないのです。僕らはたった一人のために動くネットワークを創ろうとしています。労働を共有する形で、事業所と住民サイドで壁を作らず、時には所属を離れて動くネットワークが2年目に入りました。
 それぞれの問題を各自で出し合い、そして契約という概念に縛られることなく、自分たちが出来ることをして、時には事業所の職員を外れて個人として関わって隣人として動き、一人の問題が解決すれば解散する。次の人の問題があればそこに集まるという形で、結集し解散することを繰り返しながらひとり一人の支援をしていこうというネットワークが始まっていて、いろんな勉強をしております。
(講演内容は編集の都合上一部省略させて頂きました)

 


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