医療事故調査会


医事関係訴訟委員会への要望書
■全事例
 

事例 3)−1

1.事案の概要

 本件は、当時28歳であった患者が初産で入院し、「右出産の課程で脳出血を発症し、左半身が不自由になる等・・医師や助産婦の出産経過における母体の監視懈怠等にあり・・」(第一審、地裁判決文)という争いを問うもので「脳出血の発症時期」が争点の一つであった。 被告側は、「脳出血の発症時期は不明である」と主張し、裁判所鑑定となった。市立大学病院・産婦人科助教授は、「発症時期の詳細は不明である。・・脳内出血の症状は緩徐に進行しており、平成4年1月1日11:50頃から14:45にかけてのある時点より脳内出血が開始し・・脳内出血が生じた時期の判定は困難である。」と鑑定書に記した。

  しかしながら、第一審の地裁での判決文には「右によれば、午前11時50分ころ及び午後0時ころの原告の右症状、特に左上下下肢が随意に動かない症状は、脳出血による麻痺症状の進行によるものと認めるのが相当であって、原告の脳出血は、右時点ころに発症したものと認められる。」(P 50)として、そのあとに、裁判所鑑定人の「脳出血の発症時期不明」説を否定した。

  すなわち第一審では、被告医師側が「脳出血の発症時期は不明」なのだから監視も治療の遅れの過失もないと主張するのであるが、患者の状態が急変した10分間を脳出血の発症時期と認定したのは明快であった。もともと医師側には、患者の状態の観察も不十分であったし、患者の急変後の処置も何らしていなかったために、患者が脳出血を起こしていたのを診断するのが遅れた訳であって、問題は患者を充分に診察していなかったことにあった訳である。地裁はその時の助産婦らの記録と証言とから右のように判断したのであり、裁判所鑑定人の主張にも追随しなかった。では専門医師たる鑑定人は、裁判官でも認める出血時期をなぜ「不明」としたのかが問題である。

  「脳出血の発症時期」という争点については、第一審の判決は正しくなされたと思われる。鑑定人たる医師は脳神経関係のいくつかの文献を参考にしているのであるが、正しく鑑定しているとは思えない。何よりも担当医師が「退院時要約」の中で、「分娩第U期、脳内出血」と記しているのであるから、鑑定した専門医がこのような記録を充分に検討していないのはおかしなことである。これは鑑定医がカルテや記録を充分に検討していないか、あるいは医師側を免責するためにあいまいな結論を出したのかも知れない。
 本件は地裁で、「・・原告の脳出血の発症を予見することが可能であったことは認められない。」という理由によって、原告敗訴となり、医師側の過失は問われなかった。しかし、第二審の高裁で医師側敗訴の判決が下される。

  控訴審では、被告医師側は前記裁判所鑑定に加えて、大学名誉教授の意見書を提出している。その中で、争点の一つであった「脳内出血の発症時期」については、原告主張の時期を「してよい、もしくは、せざるを得ない」と裁判所鑑定と異なる内容となっている。しかし、その他の争点については裁判所鑑定と同様の意見であったが、それらは控訴審判決で全て否定される。

  争点であった「脳内出血の原因」については、大学名誉教授の意見書は「一過性高血圧」としているが、その主張に何の根拠もなく、判決文で「高血圧傾向はなく、脳血管異常も認められなかった」 (P 81)として否定している。

  大学名誉教授の意見書は、患者が「妊娠中毒症に罹患していたと言う証拠はなく」と主張した。しかし控訴判決は「日本産婦人科学会の基準によると、血圧、浮腫及び体重増加のいずれの面においても、妊娠中毒軽症の基準に該当し・・罹患していたと認めるのが相当である」(P 73)と、大学名誉教授の意見書を否定した。判決は念によって「ちなみにカルテの「看護サマリー」欄には、診断名として「妊娠中毒症」と記載されている」と明記した。

  判決文は前文の「事案の概要」で、通院中及び入院後の患者の血圧を丁寧に検討している。これは控訴審が、患者が脳内出血を起こした原因として患者の呈した高血圧について「陣痛発作時には・・正常の範囲と判断されるとの鑑定意見を提出しており」とのことに対して、判決は「既に応答緩慢で間歇時にうとうとしているという状況で、いきみはなく、腹圧も加わらない状況であった」のだから、患者の血圧は正常ではない(P 78)とした。その上で判決は「子宮収縮剤アトニンの投与と血圧上昇作用、脳出血の関係について」の項目で、「陣痛促進剤であるアトニンの投与及びその増量並びに出産の接近に伴って血圧が上昇し、脳出血に至ったものと認める」(P 83)とした。これについては、大学名誉教授の意見書ではアトニンの使用について、「適切に増量しながら投与されており、問題はない。・・したがって、オキシトシン(アトニン)投与が脳出血の原因になったとはいえない」(P 5〜6)と述べていた。

 大学名誉教授の意見書では、患者が脳出血を起こしたのは「一過性高血圧」としているが、その根拠は提示されていない。この用語そのものが医学的ではなく、どういう病態を示しているのかは分からない。この用語でもって、大学名誉教授の意見書は「脳出血の発生を予見できる徴候」について検討しているが、その結論は「妊娠中の高血圧の発生が直ちに脳出血発生の予測指標となるものではないことは明らかである」としている。しかし、「明らか」とした根拠は示されていない。控訴審判決では、患者が妊娠中毒症であったこと、「アトニンそのものの血圧上昇作用も否定できず」、陣痛もあって、「血圧上昇による脳出血の危険性は一層強まることになるのであるから、脳出血の発症は予見可能であったものと認めるのが相当である。」(P 85)とした。この高裁の判決はもちろん正しい。一般的にも、また医学的にも、高血圧があれば脳内出血の危険が増すことは理解できるのであって、この争点についても大学名誉教授の意見書のおかしさは明瞭である。

  高裁判決は「血圧監視を怠らなければ防げたものと認められ・・」(P 98)として、医師側の注意義務違反を認めた。しかし、陣痛促進剤投与後に患者の血圧を一度も測定しなかったことについて、大学名誉教授の意見書は「医師のそれについてはオキシトシン点滴静注開始を含め、助産婦の要請に応じて遅滞なく対応していたと認められ、不都合はなかった」(P 6)と述べた。不都合が生じて、患者が脳内出血を起こしたのに、である。

  当会の鑑定については、高裁判決文の中に直接検討されたり、また引用されている箇所はないが、当方の鑑定の趣旨は裁判官らによって充分に理解されていたと思われる。そのことが判決内容にも表れているのが嬉しいことである。

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