第6.7号合併号 NEWSLETTER 大阪地域医療ケア研究会 2004年5月25日発行
コーディネーター
東野 正尚 氏(大阪府福祉人権推進センター次長)
ありがとうございました。
三人の方からそれぞれのお立場で"高齢者の尊厳を支えるケア"をどう創り上げていくのかについて発題していただきました。
三人のお話を聞きながら、高齢者介護・自立支援システム研究会の報告書『新たな高齢者介護システムの構築を目指して』を思い出しました。それは、介護保険の議論が始まった1994年12月頃に、新たな高齢者介護システムについてまとめたものでした。尊厳のある高齢者ケアの方向性のひとつとして、「どんな重度な要介護高齢者であっても、車いすで外出し、買い物ができ、友人に会い、様々な地域の活動に参加できるなど、自分の生活を楽しむことができる自立した生活を支えるのが介護の基本理念である」という提案がありました。それから6年が経って介護保険が始まり、それから3年が経ちました。新たな高齢者ケアに向けての考え方が厚生労働省の研究会で提案されてきました。
その際に、もう一度「何のための高齢者ケアなのか」という原点に振り返りながら、これからの進むべき道を探っていかなければいけないと感じました。 残念ながら、ディスカッションをする時間がなくなりましたので、最後までお付き合い頂きました大田先生に、感想ならびにご意見を頂いて、シンポジウムを終了したいと思います。
アドバイザー
大田 仁史 氏(茨城県立医療大学付属病院院長)
厚生労働省の報告書にある包括一体的なシステムを創り上げていこうというのは、我々の願いであり、仕組みとして出来ればいいと思っています。ただ、一点お願いがあります。現場が縦割り行政にどれだけ振り回されているかということです。予算の流れを見ても、何かひとつの予算を変えるとなると組みかえが必要ですし、お金の使い方でも現場では非常に苦労します。縦割りをなくして欲しいとは言えませんが、もう少し柔軟に仕組みの中で取り入れていただきたいと思います。
先程の報告の中で、住民の活動を支援すべきところが地域包括ケアの中に入っていました。住民に支持されない活動は成り立ちませんから、国も支援してほしいと思います。
また、育てていくのも住民であると中嶋先生は言われましたが、本人も家族も遠慮せずに嫌なことは嫌と言い、それを処理できるケアマネジャーが必要だと思います。 それから坪山さんのお話を聞き、その通りだと思いました。高齢者の尊厳を考えた場合、尊厳とは目に見えないので、関わる人にその心がなければ結局ないのと同じです。人の痛みがわかる人間に育てなければいけません。今の社会で「勝てば良い、競争して負けた者が悪い」という風潮が流れている中では、そのような痛みがわかる人間に育てるのも非常に難しいと思います。「自立」という言葉を連呼すれば、自立できない人は非常に辛い思いをし、自ら存在している意味がわからなくなってきます。
人間は人の中で役割を果たしながら生きているわけです。そこに居ることで持っている役割があります。存在役割や関係役割と言います。自分が出来なくても周りに豊かな心を持った人がいれば、どんな状態でもそこに居る役割があります。放っておけば人間はみんなわがままになり、それを助長している今の世の中で、我々は踏ん張ろうとする決意が必要です。
在宅の問題が出ましたが、私はいつも5つのMと1つのSを考えています。1つのSはスペース(家)です。家がなかったら在宅の話は成り立ちません。 5つのMは、マネー(お金)、マンパワー、マシン(道具・用具)、マインド、マネジメントです。その中でマインドを持ち続けることが非常に難しくなってきています。そうなるとやはり教育が必要で、人が人に優しくするということはどういうことなのか、一人ひとりに教えていかないといけません。
介護の現場に居る方は、人の痛みがわかる人達だと思います。より深く自分を高める努力をしないで、いくら介護保険の制度が整い良い、診療所・良い施設が出来たとしてもやはりダメです。これが、我々に問いかけられた問題だと思います。
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