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第4.5号合併号   NEWSLETTER   大阪地域医療ケア研究会   2003年10月17日発行


 
▼患者にわかりやすい医療について(3)
  辻本 好子(ささえあい医療人権センターCOML理事長) http://www.coml.gr.jp/
「患者中心の開かれた医療」

 こんな相談が届きました。30代半ばでベルトコンベアーに手を巻き込まれて大きな怪我をした患者さんが、長い入院生活でそろそろ退院の目途が立ってきた頃、どうしてもお風呂に入りたい。ナースに頼んで主治医に入浴の許可をしてもらえるかどうか聞いて欲しいと言って来られました。ナースが主治医からの伝言ということで、「ガーゼと包帯を濡らさないように入って下さいね。入浴の許可が下りましたよ。」その患者さんは本当に喜んで、ようやくお風呂に入れる。しかし、ガーゼと包帯を濡らしてはいけないという命令。その患者さんはどうしたかというと、ガーゼと包帯を外してお風呂に入りました。実は、これが患者さんなんです。良い悪いではなく、わかっていないんです。その患者さんはナースの説明が悪いと後から怒るのです。

 COMLには、毎月300件ちかい相談が全国から届き、お一人の電話に40分から50分かけてお話を聞いていくうちに、患者と医療者の間には深くて大きな渡りきれない河が流れているなと本当にいつも感じさせられます。わかりやすい医療があるんだろうか。そんな疑問というところから話を進めていきたいと思います。

患者にわかる医療とは
 私が関わっております厚生労働省の医療安全対策検討会で昨年度発表した『安全な医療を提供するための10の要点』です。この議論の中でも私は言いましたが、本日のテーマで言えば、患者にとっては何もわかりません。こんなこと当たり前じゃないのと思うのですが、これを提供することで安全な医療を提供しますということです。しかし、私たちにはちっとも伝わってこないと思います。
 一方、これは岡山大学医学部保健学科の看護大学の学生さんが小児科臨床実習に出る初日に、臨床現場で実習指導に当たってくれる先輩ナース達に、今日からよろしくお願いしますと挨拶をするときに、この宣言文を読むのだそうです。これは、教授がアメリカから探し出してきたもので、アメリカバージョンは15項目あります。しかし、日本語に訳すときに半分に縮めた内容となっております。 先程の『安全な医療を提供するための10の要点』に比べると何とわかりやすい事でしょうか。私は、子どもでなくても大人でもこんなケアを受けたいと、もっと言えば私たち患者は、至極当然のようなこのことを医療現場に堂々と要求して行ってもいいというような、励ましにも取れる内容になっていると思いました。
 例えば1つ目の『希望する名前で呼ぶ』は、老健・特養にお父様が入所されているご家族、娘さん、お嫁さんから不満の電話があります。その中で、父は、非常にプライドが高いのに、ケアスタッフが親しみを込めているんだと思うが、「おじいちゃん、おじいちゃん」と声を掛けられる事で、いたく腹を立てている。たまに、娘さんが顔を見せると「あいつらに、おじいちゃんと呼ばれる筋合いはない」と心を閉じてしまっている。そして、帰り際にスタッフに挨拶をしていくと、「もう、声を掛けても返事もしてくれない。扱いにくい困ったお年寄りだ」という話が聞こえてくる。たった一言、希望する名前で呼んでくれればそんな問題は簡単に解決することなのに。そうした事が実は、医療をわかりにくくしている場面も無くはないなと思いました。

 『平成7年版厚生白書』が医療サービスと謳ったあたりから妙に、医療現場において「患者様」と様呼称がはやっております。個人的に私は嫌いです。今まで、お医者さんが上で、患者が下という上下関係を患者は嘆いていました。じゃ、「様」と呼称をつけたことで、もうあなたは上ですよとそんな風に飾りのように付けられても何の意味もありません。むしろ、医療も看護も人と人の間で行われる営みです。となれば、横並びで「さん」と気安く声を掛けてくれる方がよっぽど患者が思うことを伝えられるのにと思っております。

 2つ目の『笑顔、目の高さでのケア』ですが、そんな事いちいち言われなくてもわかっていると医療者の方に叱られそうですが、わかっていても忙しいという日常の中で、ついつい忘れてしまうという事が結構あるんです。コミュニケーションというのは、目と目を合わせてそこで初めて気持ちが通じて、話ができるんです。だいたい診察室に呼ばれてもドクターはカルテを見ているか、シャーカステンに入れたレントゲンを見て、「どうしましたか?」と目を合わせもくれない。やはり、笑顔で接してくれれば、この人は私の話を聞いてくれると思うのですが、その瞬間的な事が出来ません。

 私は、昨年乳癌の手術をして、3大治療ということで『手術』『化学療法』『放射線治療』を終えました。放射線は25回2方向照射をして、毎回2割負担3,170円を窓口で請求されます。私がかかっている病院の会計窓口に座っているのは、委託業者の人ということを私は理解しておりますが、多くの患者さんは、あの方達も病院の職員と思っていると思います。その窓口の人が「3,170円です」と毎回同じ金額ですから、お釣りがないように私は用意して払います。そうすると、領収書が渡されるのですが、委託業者・派遣会社のマニュアルには「お大事に」という言葉を添えなさいときっと書いているんでしょう。いつも、「お大事に」という言葉を必ず添えてくれるのですが、今まで一度も私の目を見て、「お大事に」と言ってくださった例がありません。「お大事に」と言いながら、次の領収書のお名前を見ています。「領収書を持ってとっと失せろ」とそう言われているんじゃないかと思うぐらい。たった一度私はその領収書を持ったまま、「こっちを見ろ、こっちを見ろ」と呪文をかけてみましたが、目を合わせてくれませんでした。本当に笑顔とか、ちょっと目線を合わせるという、そんなことすら医療現場の中で希望することが出来ない。それが現実でございます。そんな所で、わかりやすい医療を共に築くということが、私は難しいなぁとささやかな体験の中で感じました。

 どれも一つひとつ申し上げたい項目ばかりですが、特に7つ目の『大声で泣いたり、叫んだり、嫌だと言えるような環境』。実は私はクリニカルパスでは、2週間と示されたのですが、その瞬間に「よーし。私は10日で退院してやろう。」と長く入院していたら病人になってしまいそうで、ともかく早く逃げだしたい気持ちで一杯でした。その為にどうするか。体力気力も必要ですし、ナースの支援も必要です。そんな事を色々考えた結果、主治医は首を捻ったのですが、病棟ナースの支援を持って無事10日で退院することができました。   

  そんな入院体験ですが、病室というところは、つらい時に大声で泣いたり、叫んだり、嫌だと言えるような環境ではありません。病院の中というところは、患者が泣きたいといっても泣く場所が無いのです。私も回復室で気がついてナースに、「今、何時ですか?」と聞いて初めて、拡大手術になったと気がつきました。予定よりも2時間遅い時間を教えてくれたことで悟りました。

 翌日、導尿が取れて、一番最初にしなければいけないことがあったのですが、遠い所に住んでいる姉に電話をすることでした。手術に立ち会うと言ってくれていたのですが、「乳癌の手術なんて、ちょっとした手術だから来なくていい。電話するから」と言ってましたので、導尿が取れてからすぐに電話をかけに行きました。私が入院していた病院は、1階にはプライバシーを守ってくれる公衆電話が設置されています。しかし、悲しいかな病棟にはそれがありません。エレベーターホールの3台公衆電話が並んでいる所に行ったら、既に両脇を使っている方がおりましたので、しょうがないけど真中の電話を取りました。 姉に拡大手術になった事を報告しますと、私以上に医学・医療に詳しくない姉は、もうそれだけで明日にでも私が死ぬような、そんな深刻な受け止め方をして、電話の向こうで泣きます。姉に泣かれれば私もグッときます。しかし、両脇には人がいらっしゃいます。まして、エレベーターからは「おじいちゃん」と言ってお見舞いの若いファミリーが来られる。そんな和気あいあいとした空気の中で、私一人がそこでポロポロ泣くような雰囲気ではないのです。しょうがない。姉を茶化す、自分をごまかす。その時もつくづく思いました。病院というところは、泣きたくても泣ける場所がないんだと。まして、ドクターやナースが一生懸命関わって下されば下さる程、「我慢をしよう」と自然に湧いて来る感情を無理に閉じ込めなければいけない無言の圧力というのでしょうか。そういう空気が流れている所、それが病院だということを実感いたしました。

 人はつらいときに『大声で泣いたり、叫んだり、嫌だと言えるような環境』であれば、自分を見失わないで済みます。私は、3週ごと6クールの化学療法を受けて一番辛かったのが5回目でした。それまで私は乳癌になったといっても、二人に一人が癌になる時代です。12年間電話相談で、患者さんや家族のお話しをお聞かせいただき、多少学習もして参りました。涙を流すという儀式をしないまま、化学療法に突入した訳ですけれど、さすがに髪の毛が無くなった頭を洗面所の鏡で見た時、胸に詰まるものを感じました。しかし、泣いたって仕方がない。百面相しておちゃらけをしてしまう。 そんな私が5回目の化学療法の時には、本当に涙がポロポロと流れてきました。治療前の白血球の数値が非常に低くて、主治医は「今日は止めておこう」と言って下さったのですが、回復する5日後には仕事を入れて飛び回っておりましたので、「予定が狂うから困る。大丈夫です」とそんな無理を言ったことでのしっぺ返しもあったんだと思います。5回目は本当に身動き一つ取れない。口内炎で口の中はひどく、少し動けばしゃくりが出て止まらない、もちろん吐き気もある。その5回目の2日目、3日目のじっとしている中で、止めどなく涙が流れました。初めて大きな声で恥も外聞もプライドもかなぐり捨てて、「もう、嫌」と大きな声を出したんです。そうするとすーっと気持ちが楽になりました。化学療法を受けると決めたのは自分じゃないか。ここまで頑張ってきて、あと1回残っているだけだと自分を励ますもう一人の自分を感じました。

 私どもが電話相談の中で、本当に胸に溜まった思いを1時間ちかくかけて吐き出していただきます。その中で必ず、その方が客観的に自分を見つめ直すという作業、次の一歩に踏み出していただける事がほとんどでございます。私は、医療現場の中にこういった環境をつくっていただくことが、そのことがわかりやすい医療の実現のために何より必要ではないかと、昨年も今年も厚生労働省の医療安全対策検討会で叫び続けました。それで行政がようやく動き出して、今年の4月1日に特定機能病院、臨床実習病院においては、患者安全相談ということで、相談窓口の設置が義務付けられました。地域には2次医療圏ということで、保健所にその相談窓口を設置ということで動き始めました。患者たちがつらい思いを胸に閉じ込めるのではなく、ともかく誰かに聞いてもらう。その事で一歩、主体的に医療参加が出来ていくといいなぁと思っております。

患者の医療ニーズ
 これは、電話相談の数の推移でございます。1997年第3次医療改革をポイントに右肩上がり、2002年度が第4次医療改革。この右肩上がりのグラフから見えてくる事が二つあります。ひとつ、患者権利意識の高まり。もうひとつがコスト意識の高まりです。
 2002年にトータル3284件届いた相談です。大まかに患者さんの相談内容を分類しました。2000年 まで10年間はずっとトップの座が『ドクターの説明不足』でした。しかし2001年2002年は『医療不信』ということになっております。そして、「弁護士を紹介して下さい。医療訴訟にしたいんです。」10年前は1%にも満たなかったものが、今や10%、毎月越えております。
 『ドクターの説明不足』ですが、今どきのことですから説明を受けていないはずがないのだろうと思って聞いておりますと、説明は受けていらっしゃるんです。だけど「私が理解できていない。納得していない」。その事を思い込み、激しく被害者意識に凝り固まってしまっていると、「説明してくれないんです」と先程のガーゼと包帯のように、深い河を感じさせられております。
 『医療費』の相談は、随分増えております。しかし、『情報開示』はなぜか減っているんです。多くの方が読めないカルテを開示されても、こんな物を見たかったわけではないんだよ。それよりも向かい合った中でちゃんと説明して欲しい。私が納得したいんだという要求になっているだと思います。
 これは、基本的な患者のこれまでもこれからも変わらないニーズです。「事故に遭いたくない。安全であって欲しい」。そして、「この地域にこの医療機関があって良かった」「この人に出会えて良かった。この人に出会えたからこそ、私は安心できた。納得できた」。今どき、医療で満足なんてことはあり得ません。満足は出来ないけれど、せめて「安心したい。納得したい」というのが患者のニーズです。

いかに情報を共有するか、人間関係をどうつくるか
 インフォームド・コンセントの医療者の責務としては、『説明すること』と、最終的に患者さんの『同意』を得ていただくことです。そして半分の責務は実は患者にあって、私たちが受けた説明を『理解する努力』、理解するためには、私が知りたいことを遠慮なく質問するということで『やり取り』という人間関係を患者の側の質問でつくっていくという主体的な医療参加が必要になってきます。そして、最終的にはひとつの身体ひとつの命、残念ながらひとつの治療法しか得られないとなれば、ここで患者は自己決定。『インフォームドチョイス』ということが大きな課題となってなってきます。
 しかし、インフォームド・コンセントは、まずは、ドクターの好みがあって、そして医療資源という限界があり、さらにエビデンスという根拠に基づく、倫理的な根拠に基づくという縛りがあって、そこに加えて患者の好みという事でインフォームド・コンセントを築いていかなければいけない訳ですから、決して簡単な事ではございません。
 まして、電話相談を聞いていて、世代によってニーズが違います。ですから、わかりやすいと言ったって、答えはひとつではないのです。もっと言えば、向かい合った目の前のその人が、どうすることで安心して、納得していただけるのかを共に築く、もうこれしかないと痛感しております。

 本日は、「わかりやすい医療」ということで、岡山大学の8ヶ条が非常にわかりやすいと私は理解したので、そこを重点的にお話しをさせていただきました。
 どんどん、患者を取り巻く状況も医療を取り巻く状況も厳しくなってきておりますが、私は諦めておりません。本当に良い医療を共に築きたいと13年目のCOML(コムル)の活動を続けていきたいと思っております。


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