在宅療養支援診療所
これをわかりやすくした図ですが、病院が地域コミュニティに医療機能を広げたというのが在宅医療の概念でして、病院でおこなわれている医療系サービスの質がそのまま地域でやりましょうということです。患者の病室がそのまま家に変わるわけです。病院にいるときは何かあればナースコールで看護師さんを呼びます。いきなり患者が医者に電話をしたりすることは、病院ではありません。看護師さんが行って状態を見て、看護師さんで解決できる問題がほとんどなのですが、医者に診せる方がいい、となってドクターコールで医者が呼ばれます。地域でも同じで、訪問看護ステーションに連絡をして、看護師の判断で医者が呼ばれて、在宅療養支援診療所から往診に行くことになります。
さらに、生活支援というのが重要で、入院しているときは入浴があったり、食事があったり、薬剤師の薬の指導があったり、コメディカルによって支えられますが、地域では介護保険を使った介護サービス事業者による、介護系のサービスが過不足なく提供をされて初めて在宅医療が成立するのです。医者や看護師だけが往診しても在宅医療は成り立ちません。このイメージは高齢者が主であって、介護保険の使えない小児の在宅医療や障害者の場合ではかなりネックになってうまくいかない状況がありますので、介護保険サービスに関しては、評価が出来るかと思います。
医療法人アスムスの紹介
私どもの法人は医療法人アスムスといいます。アスムスというのは、Activity supporting medicine:Systematic
services 活動を支えるための医療支援、個人的に作り上げたシステムの中でどうやって活動を支えていくのか、これが我々活動の医療理念です。
◎おやま城北クリニック(92年4月開院)
自宅の庭に作りました。当時、在宅医療をやりたいといっても診療所が形としてないと、保険診療が認可されなかったので、最小限の設備を備えた診療所を建てました。1回往診に行って5000円ぐらいでした。とてもじゃないけど経営は成り立たず、手術をして出稼ぎで稼いでいました。やがて経営も安定してきて、世の中が変わって収入がついてきたということで、今少し幸せだなと思えるようになりました。
◎メディスクエア・ゆうき(98年6月開設)
老健を作って診療所を3つ作って整形外科と内科と歯科と在宅医療を中心にやれるようになってきました。ここではデイサービスもデイケアサービスもショートステイも受けられるようになりました。私たちが地域で関わっている患者さんにシステマチックないいサービスが出来るようになっています。
◎わくわく訪問看護ステーション・ゆうき
◎わくわく訪問看護ステーション・おやま
ステーションが2つあります。いま24時間365日、看護師と一緒に車の両輪のようにやっております。
在宅医療の概念を整理
在宅医療というのは徐々に通院が困難となって、在宅医療に移行するということだと思います。国が制度的にいう在宅医療は、入院で治って在宅に帰ってきてという考えですが、外来の延長線上に在宅医療があるほうがうまくいっていると思います。来ていた患者が段々歳をとって来なくなります。病気になって来なくなるので、来なくなったら往診に行ってあげて、解決すればそれでいいわけです。また外来に通ってもらえばいいのです。その患者さんもあるとき癌になったりします。癌を発見して癌の治療に病院に行ってもらい、良くなって帰ってくればまた外来に通院してもらえばいいのです。もし、不幸にして手術が出来ないなど、専門的な判断の元に在宅に戻ってくると在宅医療が始まるのです。癌の末期でも病院に通ってくる人は多いです。本当に通えなくなって在宅医療が始まるのは2ヶ月から3ヶ月です。在宅医療というのは在宅にだけ閉じ込めておく医療ではないし、外来にかかってもいいということです。
在宅医療には、慢性期、急性期とさまざまな局面があります。一般的には病状が安定している時に在宅医療の適用があるといわれていますが、急性期の医療にも十分対応できます。認知症高齢者などは、病院に連れて行くよりも在宅で治療を継続したほうが治療成績はいいと思います。
急性期でどういうことが問題になるかというと感染症です。大体熱が出て、感染が疑われ重篤感があるときは、胆のう炎か肺炎です。胆のう炎にしても、肺炎にしても在宅で十分いけます。酸素も抗生物質もありますから。あと、尿路感染は重篤感はありません。その時は水だけ入れてきれいにすれば問題はありません。
在宅医療を時系列で分類すると、導入期・移行期、維持期、終末期と分かれてきます。非常に重要なのは導入期・移行期で、2週間と2ヶ月という所に2つの山があります。2週間というのは家族に看る気があるかないかわかる山です。家族で看る気がなければ2週間以内に必ず家族の問題が露呈します。家族に看る気がある場合、看る気はあるけども技術が伴わない場合、2ヶ月以内に露呈します。家族に看る気があり、技術が備わり2ヶ月を超えれば、これは一生ものです。長い人生の中では、ケアできない不測の状況もあるから、その時は一時的に老健であずかって支えてあげれば、終末期まで看られることが多くあります。
維持期には特徴的なケアマネジメントがありますし、終末期には終末期特有なケアマネジメントがあります。
導入期、維持期に重要なのが、退院時ケアカンファレンスです。本当は患者さんも参加できるといいのですが、状況によっては家族が参加して、在宅側と病院側と情報を交換します。ここではケアマネジャーが、キーマンになります。ケアマネジャーの力量によってうまくいったり行かなかったりします。少し辛口な意見を言えば、所属組織のサービスを中心に組む人が必ずいます。自分が所属している組織の理念に迎合していくようではいいことが出来ないわけです。ケアマネがしっかりしているかどうかで在宅医療がきちんとやれるかどうかが決まるといっても言い過ぎではないと思います。
対象患者
対象患者で、特徴的なのはターミナル期の癌患者と虚弱な高齢者と障害者・障害児、神経筋難病とでは、介護の力・評価が大きく違うということです。高齢者に関しましては、公的な介護保険制度がありますから、保険を利用して上手に在宅で療養させることができますが、障害者・障害児というのは、多くが家族介護に依存します。なぜならば子どもに対するサービスはありません。私の所では12人、人口呼吸器を付けて胃ろう管理の子どもがいますが、胃ろう管理で呼吸器を付けている子どもの入浴サービスがないのです。経験がないので何かあったら困ると、サービスを拒否する所もあるし、サービスをするには予算が付かないという所もあります。
ターミナル期の癌患者は期間が非常に短く、3ヶ月ぐらいです。私の経験では、大体亡くなる2・3週間前までは風呂に入ったりしていますので、本当に必要な介護というのは最後の1ヵ月です。社会的な支援はあまり受けられないけど家族が支えています。今年度から介護保険制度で、癌も認めているのですが、介護度判定をしている間に進んでしまいます。癌の特徴というのは急激に悪くなりますから、風呂に入ったりトイレに自分でいったり、食事をしたりするレベルでは、要介護1・2ぐらいにしか認定されないのですが、判定が下った頃には3・4になっているのです。ですから介護保険が使えるようになったからといっても、使いづらいです。介護認定審査会で、十分に理解して、癌で余命が3ヶ月であれば、例えば要介護4という判定を期待したいです。
あと神経筋難病です。社会的支援が少なく、介護保険が使えるのはALSぐらいで、あとは使えません。脊髄小脳変性症も使えるからいいのですが、多発性硬化症とか筋ジスは使えません。
在宅医療の現場
少し在宅医療の現場をお見せして、第三類計の在宅医療のお話をさせていただいて、話を終えたいと思います。
◎経管栄養で寝たきりで、要介護5レベル
病院では治療できないからといって、家族が連れて帰ってきました。お孫さんがとっても熱心に治療をして、5〜6年生活をされたのですが、最後は在宅酸素になりました。肺炎になったり尿路感染をおこしたり、一番大きなアクシデントは骨折でした。お孫さんが熱心に介護をされていたのですが、オムツを替えるときに折れたのです。ただ折れただけなら固定をしておけばいいのですが、骨が出てくる開放骨折でした。開放骨折は感染の危険があって、感染すると骨髄炎になって大変なので、保存療法とは行きません。信頼できる病院が近くになかったのでインフォームドコンセントの結果、一般的な話ではないのですが在宅でOPをやろうと思えばできると、NLA麻酔でこの人は気管切開をしていて安全だということで酸素を準備し、切って骨を削って平らにして、縫い直してギブスで固定をする観血的治療を在宅で行いました。そばで家族が見ていました。
◎関節リウマチ 要介護5
進行したリウマチは、第1頚椎滑膜が炎症を起こし四肢麻痺になっていきます。バジラールインプレッションといって頭蓋底に陥入していって最終的に延髄を刺激して呼吸停止で突然死をするのです。こういうタイプのリウマチは進行期で、治療方法はありません。この人は、ある大学病院の有名なリウマチ専門医が診ているのですが、病院に行けなくなり、3年間診察をせず薬だけを出していたのです。2年間お風呂も入っていないのです。
介護保険が始まってケアマネが関わるようになり、この人をどうやって風呂に入れたらいいかということで、私の所に相談に来ました。リウマチの専門医が診ていてもその人の生活を見ていないので、的外れな治療をしていたのです。この人に必要なのは医療の前に、ご飯を食べることやお風呂に入ること、排泄をすることなどあたりまえの生活をすることなのです。
◎アルツハイマー型認知症 要介護5
アルツハイマーの方ですが、ある大学病院で薬漬けになっておりました。認知症の治療というのは「問題行動」と言われている行動障害をなんとかするということだったようです。夜徘徊するから睡眠薬を飲ませるというような治療が多いのです。変なことを言うから元気をなくそうとか、そうすると寝たきりになってしまいます。寝たきりになって食事も取れなくなって衰弱してきたということで、ご主人が自宅に連れて帰られたのです。薬を止めて、点滴をしてラコールを飲ませ、元気になりました。薬をやめて指にマネキュアを塗り、自分でマニュキアの赤を見て、ニッコリ微笑みました。ご主人は、ニッコリ笑った奥さんの姿を見てたいそう喜びました。認知症の辺縁症状というのは生活支援で改善します。認知症を診断するレベルでは医者が診る必要があります。treatable
dementiaといいますか慢性硬膜下血腫は治りますし、甲状腺機能の低下もチラージンを入れれば治ります。治せるかどうかの判断は必要ですがアルツハイマーという診断がついたらあまり医者に頼らず、できるだけちゃんとした生活を維持してあげるほうがいいと思います。
地域密着・小規模多機能ケア
最後に第三類計ですが、地域密着・小規模多機能ケアというのがあります。私の地域にこのモデルになった「のぞみホーム」があります。最初は通って来ていた人が家族の都合などで1、2日泊りを可能にし、そのうちにだんだん重症化して通いづらくなったので、そこに住むという流れで、小規模多機能ケアが生まれました。制度があって生まれたのではないのです。自宅があって通所ケアをするわけです。そして、一時泊りがあってなじみの関係作りが出来てきて、グループホームのような形で住みます。看取りの場として、そこに不可欠なのが医療支援ということになります。この4月から医療支援・訪問看護が可能になりました。私たちが訪れた時はここは医療の場になりますが、帰れば生活の場に戻るということになります。医療をアウトソーシングするということは非常にいいことです。ここにも在宅医療の原点があると私は思います。
まとめ
超少子高齢者社会の中、人口減少が進み、社会保障が破綻するのではないかと懸念されています。その中で、医療費をどう適正化させるか、国は勢力的に政策的に看取りを含む在宅医療の推進を手がけてきました。たしかに、財政論から推進された在宅医療ですが、国民が望んでいるのですからいいのではないでしょうか。何もしないで看取るのではなく、適切な医療があれば幸せだと思います。
地域包括ケアといいますが、地域が支えるということが重要で、地域が主体となって支えることです。医療者としては、延命に最善を尽くすことに対して、まるで制度的にも国民的にも合意を得たように思いますし、診療報酬としても請求が出来るかもしれませんが、これはあまりいいことではないような気がします。延命死したい人はいいですが、尊厳死は当たり前であるべきでしょう。
現在、在宅療養支援診療所として1万箇所手を上げております。在宅看取り率13%を25%に上げるのにはどうしたらいいかといいますと、少なくとも25万人から30万人を看取らないといけません。1万軒の診療所が年間30人の看取りをしなくてはいけないのです。これからの課題です。
老いの価値、生きることの意義、生かされることの意義を自問自答をしていただきたい。そして死の意味づけです。在宅医療を通して地域の文化が見えると某厚生労働省官僚が言いましたが、私もその通りだと思います。私は三つの市町村にまたがって在宅医療をしていますが、地域コミュニティーの成熟度によって幸せな所と、そうでない所があります。もちろん行政の姿勢によっても変わりますが、在宅ケアを通してコミュニティーを構築することも、我々に与えられた課題ではないでしょうか。
地域文化としての在宅の看取り、日本で忘れかけてきたことが異様なことであります。人生を丸ごと面倒を見るという在宅医療の推進を非常に期待しておりますし、在宅医療塾というのが真に時宣を得たものだと思います。
いつもこの絵で終わりにしております。ピカソの絵で100年程前の習作です。今は遺伝子がわかって臓器移植が出来て、寿命が延びましたが、死は、決して克服されたものではありません。必ず人は死にます。医学において必ずという言葉が使えるのは、死ぬということだけです。この死の場面において、100年前と今と比べて、確かに医学や科学は進んだけれども、宗教家と医者が傍らにいて看取られるというような穏やかな尊厳のある最後というのは、失われたと思っております。これをもう一度取り戻すために、私たちが頑張らなくてはいけないと常々思っております。
ご清聴ありがとうございました。
(講演内容は編集の都合上一部省略させて頂きました)
■プロフィール■(敬称略) 医学博士,日本整形外科学会認定専門医
麻酔科標榜医,介護支援専門員
大田 秀樹 氏
1953年 奈良市生まれ
1979年 日本大学医学部卒業
自治医科大学大学院博士課程修了
自治医科大学専任講師を経て
1992年 在宅医療を旗印におやま城北クリニック開業 <学会・社会貢献活動>
・介護老人保健施設、訪問看護ステーション、訪問介護事業、宅老所、グループホームなど擁する医療法人アスムス理事長
・結城市医師会理事
・NPO法人在宅ケアを支える診療所・市民全国ネットワーク
副会長
・日本在宅医学会幹事
・NPO法人 全国在宅医療推進連絡協会副理事長
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