医療記録の開示
 

● 日本と合衆国の医療看護事情について ●


 次に驚いたことは、衛生面で実際行われていることです。
患者さんや、病院訪問者、病院スタッフ、全ての人が同じエレベーターを使用するのをみてしまいました。しかも、そのエレベーターは、患者の食事や医療廃棄物の搬送にも使われていました。アメリカでは訪問者、患者さんの利用するエレベーターと食事や医療廃棄物、或いは、外科の患者用のエレベーターとは別々なに利用するべく整えられています。日本ではそういう風にはなっていない。このような現状は病院の中で蔓延している細菌の感染経路についての常識を無視したやり方です。
事実、ノソコミアル感染(院内感染の)は最も危険な感染です。政府の監督のもと、連邦法によってアメリカでは、病院を訪れる人、実習生、働く人、全てを守るために、日本のようなやり方は禁止されています。

 次に気付いたことほ、公共の場での健康への関心です。
入院中、ショックで我が目を疑ってしまいましたが、静脈ラインを付けた患者が自分たちの病室のすぐ外でたばこを吸っているのを見かけたことでした。日本での滞在中、最も因った事は、あらゆる所でたばこの煙が蔓延していたことです。
事実、外食をしたときは、大半のレストランでは、たばこの煙が立ちこめていて、いつも気分が悪くなりました。禁煙サインをあからさまに無視する人を事実見かけましたし、公の交通機関で喫煙する乗客を何度も見かけました。論議の余地なく喫煙は、喫煙者その家族ばかりでなく、何も知らないで公共の場で間接的に煙を吸ってしまった人々をも健康を害し死にいたらしめています。私がもし、自分の目でこのように病院の中でたばこが吸われているという事実をみていなかったら信じられなかった事と思います。このような事を許していること自体正気の沙汰ではありません。
もう一度、連邦法を持ち出しますが、アメリカでは、すべての公共の場、特に病院内での喫煙は厳禁です。酸素を常に使っている病院では危険でもありますし、また、がん誘発因子として考えられている喫煙です。このような思いから、私は、病院の方にお頂いし一昼夜―泊入院の後、退院させていただきました。事実、退院して家で療養する方がより早く回復出来たと思います。毎日、通院し注射や点滴治療を受けました。クーラーのない、私の気管支喘息を悪化させる煙の充満した病院から帰り、エアコンの効いた自分の部屋で療養出来たお陰でより早く回復出来ました。
内科医として、どのような状況下にあろうとも、喘息の患者をたばこの煙の立ちこめる病室になど入れないだろうし、また、医者として、倫理に反する行為だと思うし、道徳以前の問題と考えます。

 日本の医療現場を見て気がついたことの最後は、妻(日本人です)が産婦人科にお世話になっていたときのことです。私たちの娘は、相生で、経験豊かな素晴わしい医療スタッフのお陰で生まれました。素晴らしい経験をさせていただきましたが、と同時に、私には理解しがたい事が起こり、欲求不満になりました。アメリカでは母親と父親は同等に、産前産後看護システムの一部として受け入れられています。
しかし、日本では、父親としての私を、いや、私が男性であるが故に、絶えず、排除されるようなシステムになっていました。21世紀が目前というときに、このような考え方は時代遅れのように感じます。私は妻の妊娠中、あらゆる局面で、日本の、システムに抵抗感を昧わっておりました。
また、とても親切で、良く診てくださる優しい女医さんに担当して頂き安堵していたのですが、妊娠9ヶ月に入った時、そのな女医さんは、他病院へ赴任していくことを、突然、出発一週間前になり、私たちに告げました。妻には、なんの選択の余地もなく、会ったこともない次の医者に、担当が代わることになりました。 患者と医者の患者と医者の継続した関係こそ、医療者としての義務だと考えますが、何か、冷淡に扱われているように感じました。

出産時、彼女は、また一つ新たなストレスを味わうことになりました。
医療を与える人として、人間として、そして、医療パートナーとして自信あふれる医者が、担当してくれて初めて、患者は安心出来るものであり治療を任せられるものと考えます。しかしながら、多くの日本人はこのような考え方をあまりされないようです。
健康管理は、患者と医者が共通のゴールに到達するために働いたとき、よりよい効果がうまれるものです。日本でのこのようなことがアメリカでおきたときには患者を見捨てたということで法律に反する行為と見なされるでしょう。

 私は日本の医療制度ばかりを批判しているのではありません,その違いは医者をみる患者の見方の違いによるものと思います。アメリカでは健康保険制度はますます消費者のためのものとなりつつあります。医者は患者にサービスを提供し、人々は可能な限り最良の治療を受ける権利があると感じております。このことが、世界中で―番近代的な設備や、高額を費やして公共衛生を守る制度、高い医療技術を持ち有能な人々を生み出してきました。とはいえ、アメリカの制度も完全なものとはかけ離れていますし、たくさんの変革が必要な事も事実です。日本は医療保険制度はとて優れていて、一方、アメリカは乏しい。その問題の答えはまた、両国の二つの制度そのものに存在ずるものと思います。現状では アメリカは医療はすべての人々の権利ではありません。一部の金持ちの特権ではなく、―般市民が、人間として、持つべき権利であり、それを与えるため国は義務をおっているど私は強く信じております。この点に関しては日本の制度としてより大きなスケールで人間的だと思います。皮肉にも、日本の制度は医療行政の中に患者の権利を見失っており、また、アメリカは、まさに、逆り様子を呈しております。つまり医療を受けると言うことでは、患者のために行われているが本来、人のための、普遍的な権利としての医療と言う面では、見失っている事が多いと思います。

私のこの文章がたとえ小さな形でありましても、日本のひとびとが医者や医療関係者から受ける医療について考えるきっかけになってくれたらど心から期待しております。
私は、医療社会化制度という目標が達成されるまで、帰国後はアメリカの制度の変革に努めてゆきたいと思います。この文章を書く機会をくださった大頭先生に心より感謝申し上げまず 先生は滞在中、私のかかりっけ医として最善を尽くしてくれました。困っている時、苦しい時、常に、同情心をもって、応対してくれました。人は、人生において、いつか、医師を必要とする時がきます。私は、大頭先生のような人にお目にかかれたことで勇気づけられました。といいますのは真の看護がある限り、人はいきてゆけるのだということを思い出させてくれたからです。

最後に、これをお読み貴方や私が、患者になり不治の病あるいは終末期の病に罹っていると分かったとき、希望こそ、利達が持も続けるすべてのものだと思います。
何人も患者から希望を取り去る事は出来ません、たとえ、医者であろうとも。 名医とは患者がもう希望がないと感じているときでさえ、患者に希望を抱かせることが出来る人だと思います。私が日本で感じたこと、日本の医療制度、現場を変えるのは、日本人の 患者の皆さんご自身です。

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