医療記録の開示
 

● 日本と合衆国の医療看護事情について ●



提供:だいとう循環器クリニック 機関誌「花みずき」
パトリック・フォスターさん

 日本人とアメリカ人を両親にもつ私は、両国の文化価値観を持ち成長しました。また、医者として二つの国にみられる医療看護体制について、それぞれの持つ長所と短所を、比較することが出来ます。結果的に、両国の医療看護体制を患者として体験致しましたので、それぞれの立場かもお伝え致します。内部の者として、そして又、部外者として、立場を変えて感じたこと、思った事を書きたいと思います。

私は幸運にも約2年間日本に住み、仕事をすることが出来ました。 日本での生活、それは私の長年の夢でした。このように長い間、かくもユニークな地で生活出来ました事は生涯に一度の素晴らしい経験だったと感謝の気持ちでいっぱいです。
私は高血圧の薬を服んでおりまずし、喘息でわあります。幼少より、喘息は5歳から高血圧は13歳より治療を受けて参りましたから、来日後、内科医を探しました。そうして滞在中ずっと、姫路の大頭医師の治療を受けることになりました。彼の優れた治療のお陰で、血圧状態はアメリカにいました時よりも完壁にコントロール出来ました。

1997年7月、カンピロバクテリア(へリコバクテリア)ビロリ菌が原因の食中毒の一種に罹りました。この細菌体は日本中至る所に存在しているということですが、私のような日本での生活に慣れていない者は特に感染しやすかったようです。世界中、他国を訪れる何千人もの観光客は大腸菌という比較的害のない菌により下痢症になりまずが、私の罹患した菌体は、不幸にも重症化させる可能性のあるものでした。
この時は大頭先生にはお世話にならずに、相生の病院に入院致しました。
こうしては、日本で初めて入院を体験することになりました。
入院中、お世話になりました医師、看護婦、そして他のスタッフの皆さんぞれぞれにとても有能で、患者の気持もを大切にし、職業意識の高い方たちでした。特に、看護婦きんたちの患者さんに対する献身的な姿には感銘を受けました。お会いしましたこれら病院のスタッフの皆さんは、患者さんを一人の人間として、そしてその人の苦しみを理解してお世話されていると思いました。
しかし、この機会に両国のショッキングな違いも明らかになってきました。それは病院の施設設備の違い、公衆衛生感覚の違い、そして人々の公共の場での健康ヘの関心の違いなどです。

病院設備に関しましては、傷を癒し、より早い回復をはかるために患者さんが快適に過ごせる設備としてはかなり不十分だと思いました。
暑い夏、6月、入院するということは惨めな体験でした。二度と味わいたくないな、と思います。さらに耐えられなかったことは、夜7時〜9時には病院のエアコンが止められるという事実です。この方針を告げられた時は信じられませんでした。悪いことに私の熱は40度近くありました。看護婦さんたちはとても良くして下さり、時間を決めて病室に来てはアイスバックを取り換えて体を冷やしてくれました。まるで、窓を明け て、扇風機で私を冷やしてくれるように・・・。アメリカでは、全ての病院24時間冷暖房設備を備え付けられる事が法律で決められているので、日本のこのような状態は、アメリカでは聞いたことがありません。

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