ホスピス

● 難病の中、見つめ続けた生と死 ●

 Nさんを訪ねたある日、隣のべッドに入院されていた70歳位の、脳梗塞の後遺症で体 が不自由だったご婦人が、「だんだん動くようになってきます。」と動かなかった体が動くようになっていく喜びを、体中で表現しておられました。Nさんの体は決して回復に向かうことはありません。筋肉はどんどん衰え、待っているのは全く動くことのない体に人工呼吸器を付けて生きるか、人工呼吸器を否定し、自然死を選ぶことしかありませんでした。 喜ぶご婦人に、自分の体は決して動くようにはならないと知りつつも、「よかったね。」と 返事しておられるNさんの、心に宿る寂しさを感じ取った私は、「Nさん、Nさんも車椅子でせめて病院内だけでも散歩しましょ。」と声をかけました。

Nさんは「いいや、散歩 に連れて行ってくれるんやったら病院の中だけでなくて、外に出てみたい。スーパーで買 い物がしてみたい。」と言われました。それが実現すると、日を追うにつれますますやってみたいことを、自分から要求されるようになってきました。私は「Nさん、出来る出来 ないは先生が決めてくださること、だめだと言われることがこわくなかったら、してみた いことを先生に相談してみたらどうですか。」と提案しました。蟹が大好きだったNさんは、城崎まで蟹を食べに行きたいことを先生に話されました。しかし、城崎までの遠出は 無理でした。でも先生は病院の近くの蟹料理屋さんに行くことをすすめてくださったので す。城崎に行くという希望はかなえられませんでしたが、市内の蟹料理屋さんまで出かけ、 大好きな蟹を食べることが出来ました。焼き肉、しゃぶしゃぶ、なども食べに行きました。 頬をバラ色に染めておいしそうに食べていたNさんの姿は、今でも心に残っています。

 人の目を避けていたNさんが、人の目を気にする事なくデパートでの買い物も楽しみました。横浜で学生生活を送っておられる息子さんに、お茶やお菓子など食品を買って送る、など普通の母親がやっていることも、私たちに助けられながらですが出来ました。 品物を整え、荷造りをして、息子さんの住所確認のため、息子さん宅に電話をしたとき受 けた感動を、今も忘れることは出来ません。荷物に同封するため、Nさんから息子さんへ の手紙を口述筆記していたので、「お母さんからの荷物をお送りします。今お母さんの手紙を書いています。」とお伝えしたとき、「エッ!母は書くことが出来るのですか。」と 喜びを込めた驚きの返事が返ってきました。心から飛び出してきたようなその言葉は胸を打ちました。がっかりされるとは思いながら、口述筆記だとお伝えしましたが、母と子の思いに触れることができました。

 Nさんは私たちポランティアを受け入れてくださり、「私のこと誰に話してくれてもい いよ。」「私が変われたのは、あなたたちボランティアさんのおかげや、私のこと話すことが何かの役にたつんやったら嬉しいから。」と言ってくださいました。買い物の様子、食事の様子を写真に撮ることも、喜んで受けて下さいました。ある日訪問したとき、静かな口調でこんなことも言われました。「井戸本さん、私こんな病気になって悔しいけど、良かったと思うこともあるんや、それはあなたたちに会えたことや」返す言葉はありませんでした。10月にはいると、少しずつ口の動きが衰え始め、しゃべりにくくなってきま した。飲み込みも困難になってきました。いよいよ最後の外食になることを覚悟で再ぴ蟹を食べに行きました。ご自分でも最後の外食になることはわかっておられました。

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