welfare
 

● 近代的ナーシングホ−ムの歴史 ●


1965年 アメリカ老人福祉法(包括的社会福祉サービス施策)制度
◆「連邦政府⇔州⇔地方」を結ぶサービスネットワークを形成する、老人福祉局が
  活動にあたっている。具体的には、ニーズに基づきデイケア・センターや給食
  サービス等各種の在宅福祉サービスを計画、調整し提供している。
☆ 資源的に乏しくても欠かすことのできないサービスであるという認識に基づき、
  地域レベルでの努力が続けられている。
1967年 モス改正法
☆ 連邦政府の助成の対象となるナ−シングホ−ムの基準を設け政府が認可制度を
  実施したため、多くの施設  が閉鎖に追い込まれそうになった。
◆ メディケアとメディケイド両方の対象となる「重度ナ−シング施設」。
◆ メディケイドのみの対象となる「中間ケア施設」医療志向でない施設。
 (ヘルスケア施設として公的援助を受けられるだけの十分な看護体制が整った
  ナーシングホーム)
1975年 ヘルスサ−ビス設置規制プログラムがすべての州に義務づけられる
◆ ナ−シングホ−ムの設立を申請するものは、地方の「保健システム機関」
  と州の保健計画資源開発機関」  に、許可をとらなければならなくなった。
1980年 ボ−レン改正法
◆ 重度・中度のナ−シングホ−ムに関連する連邦政府からの補助金の受給資格
  の基準の変更
☆ 今まで「それぞれのコストによる基準」だったのが
          ↓ 
 「効率的、経済的に運営されている施設でかかると思われるコストに
  見合うだけの金額を払い戻す」制度に変更。
1987年 オムニバス予算調停法(OBRA)施行
◆ メディケイドの特別扱いは廃止されたが、メディケアのもと、重度ナ−シン
  グ施設の認定は据え置き。
◆ 設備の面では、中間ケア施設の認定条件が重度ナ−シング施設のレベル
  まで引上げ。
◆ 中間ケア施設と重度ナ−シング施設との間の支払い額の差異(メディケイド)
  も排除された。この施行により、医療志向はある種のサ−ビスに「社会の」
  あるいは「援助の」というレッテルを貼り、高齢者には価値の低い療法とい
  う印象を与え、そのサ−ビスの重要性が利用者に充分に理解されなかった。

  ※ 自己負担でナ−シングホ−ムに入所した高齢者の3分の2は1年以内に    財産を使い果たし、メディケイドに転換せざるを得ない実情があり、入    所者とその家族は、ナ−シングホ−ムでの長期入所による経済的困難の    解決策を必要としている。    このような状況のため、簡単な設備しかない施設は最小限のケアニ−ズ    しか満たせない、最低価格のケアの供給を余儀なくされる。

 ※ 最近では、長期ケアを必要とする高齢者の5人のうち4人は地域で生活    しており、ナ−シングホ−ムで生活しているのは同様のニ−ズのある高    齢者の5人のうちの1人だけである。65歳以上の米国人のうち、ナ−    シングホ−ムに入所できるのは、常に全体のわずか5%である。

1996年 全米の25以上の州で、ナーシングホームの新設をストップさせるための
モラトリアム期間が設けられた。アシステッドリビング協会ALFAAの
初代会長であるPaul. Klaassen氏は、この動きに対して、これからの10年
で虚弱な高齢者をナーシングホームに施設入所させて医療的環境のもとで
ケアするということが、米国社会のヘルスケアの現場から消えるだろうと
自信を持って断言し、また、米国以外の各国が、「施設入所」から遠ざか
ることに、アメリカが費やしたような長い時間をかけないことを望むとコ
メントした。
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