welfare
 

● 近代的ナーシングホ−ムの歴史 ●


1935年 社会保障法の施行(老齢年金と失業保険を核に設定)
(施設への収容が貧困者ケアの唯一の方法であると考えられていた当時には、画期的な制度であった)
☆ ケアの受容者は自分の給付金(年金)を自由に使えるようになった。
  また、他の法律とともに高齢者ケアの大きな前身であり、近代的ナ−シング
  ホ−ムの誕生のきっかけとなった。
◆ 社会保障法第1章の規定の一つにより
  高齢者補助(OOA)給付金を「施設の入所者」へ支払うことが禁止されてい
  た。この禁止令は、社会保障法は救貧院の維持管理に利用してはならない
  という理由から出された。
☆ この制度は施設ケアに直接、資金を提供することはなかったが、高齢者が
  受給するコミュニティ・ケアの支払いを援護するため、国からの補助金を
  給付していた。それがさらに発展して個人経営の救済ホ−ム、すなわち現
  在のナーシングホームと呼ばれるホ−ムの数が増えた。
1939年 遺族年金追加
1946年 「ヒル・バ−トン法」議会は病院調査・建設法を制定
(立法化につとめた人物の名前にちなんでつけられた)
 ☆ 病院のみを対象とした資金の貸し付けを行なうもの。
1954年 連邦政府の法律が非営利のナ−シングホ−ムも融資の対象となる
(そののち個人経営のナ−シングホ−ムも同様に対象とされるようになる)
◆ ナ−シングホ−ムが公的保険制度の管轄となった結果、ナ−シングホ−ム
  は福祉制度の延長ではなく公的 保険政策の一つとして位置付けられた。
☆ 50年代のほとんどのナ−シングホ−ムの特性は、慢性的な疾病や障害を
  持つ入所者を収容している場合でも、患者の居住と保護施設としての性格
  が強かった。
☆ ケアの必要事項を立案した公的保健サ−ビスの専門家は病院志向が強いので
  今日でもほとんどのナ−シ ングホ−ムが小規模な病院のような外観を備え
  ている。
1956年 障害年金追加
1960年 「米国の高齢者に長期ケアを提供する専門施設」として発展
☆ 多くの高齢者を基盤とする団体が全国的に組織され、「老人は貧しく虚弱
  で、社会に依存しなければ生活できず、差別的待遇の対象で、とりわけ扶助
  を受けるに値する」と強く主張し、高齢者に対して「老人」という均一のレ
  ッテルを貼った。
1965年 社会保障改正法を制定し、メディケア・メディケイドを導入(対象範囲を拡大)
☆ その30年後の今、2つのプログラムが組み合わされ公的な助成金としてナ
  −シングホ−ムの収入となっている。
◆ メディケア(老齢者医療健康保険制度)は、65歳以上の高齢者を対象とし
  た連邦政府の医療プログラムで、保健・福祉サ−ビス部が運営代金を負担す
  る内容は、入院患者に対する緊急のケア、重度ナ−シング施設のケア、ホ
  スピスケア、そして在宅保健機関によるケアの代金。
   (ナ−シングホ−ム給付金は最大給付期間が100日と定められている)
◆ メディケイド(政府医療扶助制度)は、医療の対象範囲を、年齢に関係な
  く、連邦政府のプログラムで、生活保護の給付金を受け取っている者、 
  または州が設定した「所得が低くて医療費が払えない者」を対象としてい
  る。

  ニュ−ヨ−クでヘルス・サ−ビス設置規制プログラム(CON)が設立
◆ 設立の目的は、ヘルスケアの供給者が最低限の能力を持つことを確認し、保
  険ケア施設の過剰な増加を抑制すること。

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