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● 近代的ナーシングホ−ムの歴史 ●


 ナーシングホームはほとんどが互いに似通った外観、感触、雰囲気を持っていますが、その建築の概念は、1960年代に病院の管理者達が設計した3階建てのモーテルなどと共通したものです。

<建物の概要・雰囲気>
・長い廊下の両側に開け放された居室が続き、廊下はナースステーションとラウンジへ続く一般的なビニールの床に、廊下の端に位置する窓からの光や蛍光灯の光が反射するために高齢者の目には床にあるものが認識しづらい
・廊下や居室周辺では、洗濯物と消毒薬と尿の匂いが混じり合った空気が漂っている

<スタッフ配置と入居者との関係>
・各階の中央部にナースステーションが置かれ、職員はそこで薬の準備や書類の作成を行う
・職員が廊下を見渡せるように作られたフロントデスクに資料や入居者のカルテ、備品等が整理されて保管されている

<各居室内の様子>
・長い廊下に沿って並ぶ居室は画一的で殺風景であり、ほとんどがシングルベッドが2つと窓が1つというパターンで、一人が窓側、もう一人が暗い廊下側のベッドを使う
・入居者の家庭から思い出の品を持ってくることをホームの管理者は奨励するが、その居室の狭さから、個人的なものを持ち込むことは実際には制限されてしまう


近代的ナーシングホームの歴史


 近代のナ−シングホ−ムは、高齢化という現象と経過が、治療を受け回復が可能な一つの病理として認められてきたことから、医療体系に組み込まれました。これより近代のナ−シングホ−ムで最も高かったケアニ−ズに対する関心はさらに促されました。

マクルア(McClure,1968)は、近代的ナ−シングホ−ムは次の過程を経て出現したと説明しています。
 1) 国民の寿命が大幅に延びた結果、米国の総人口に占める高齢者の比率が増大したこと。
 2) 都市化が進み社会構造に変化が生じ、核家族が大家族より重要視されるようになったこと。
   都市には虚弱高齢者や疾病を持つ親に必要なケアを供給する施設が整っていなかったこと。
 3) 高齢者の保障を求める新しい考え方が広まり、社会保障やメディケアのような手段が生み出
   されたこと。
コ−エン(Cohen,1975)の報告によると、米国の歴史においての貧困を含む社会問題は、何らかの形態 の施設ケアによって解決されることが多くあるとしてきました。ナ−シングホ−ムは数種類の収容保護施設から発展しましたが、その大部分は本来、貧困者に救済をするためのものであります。
 1) 地方の私設救貧院または郡営農場
 2) 民間の老人ホ−ムであり、低収入の身寄りのない高齢者に住む場所を与え、生活を助ける
   ために19世紀末に慈善団体によって初めて設立されたもの。
 3) 個人経営の賄い付きホ−ムへの、内容の変化(ホ−ムが供給する管理やケアの料金を支払
   える入所者を対象とした施設で、老人ホ−ムとほとんど同時期に出現した)

19世紀後半 地方の私設救貧院または郡営農場が設立
◆ 代表的な救済農場や救貧院を、通常は農業の盛んな郡で農場を経営する
  所有者/監督者の妻である「寮母」によって運営される施設と説明され
  ている救護院は、大きくしっかりした建物で、2階もしくは3階建の矩形
  (くけい)構造をしており通りから引っ込んだ場所に建てられたものが多か
  った。
19世紀末〜  慈善的なホ−ムは、移民の互助組織やさまざまな宗教団体によって設立される
20世紀初頭 (慈善ホ−ムの入居資格は、心身ともに健康で人柄の良い高齢者に限られていた)
1900年 (高齢者の人口に占める比率 1900年に4%)
1920年 (高齢者の人口に占める比率 1920年に5%)
◆ 救貧院で生活する高齢者(65歳以上)の数はわずか5万人で、ほぼ同数の
  高齢者が近代的ナ−シングホ−ムの前身となった慈善団体による民間の
 老人ホ−ムで生活していた。
☆ 慈善ホ−ムが淘汰されずに残ることができた要因(4つのニーズの変化
  と状況に対応できたから)。
  1) ベッド需要の増加
  2) 疾病にかかった高齢者のケアの問題
  3) 財源の調整、および常に増え続けるコストと新しい資金源の開発
  4) 個人経営ホ−ムなどの高齢者への新しいサ−ビスの開発
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