● 米国における近代的施設の歴史 -1- ●
しかしそのナーシング・ホームへは(アメリカでは健康保険が充実していないため)、自分の家を売却し、ある程度の資産を確保してから入所しており、入所した高齢者の3分の2は1年以内に財産を使い果たしメディケイドに転換せざるを得ず、公的な施設への転寮・転所を余儀なくされてきました。
1970年代以降は、これが社会問題として国会レベルで取りあげられるようになり、その問題点として、重度の障害を持った高齢者が多いにもかかわらず、ほとんどが資格のない素人によるケアで、高齢者に対して劣悪な待遇をしている施設が多数あることがわかりました。また、施設の利潤追求のために極限まで経費を切り詰める経営姿勢が浮き彫りになり、ケアに携わる職員に対しても重労働が強いられ、その離職率は年間で75%にものぼったということです。
このような批判の中、1986年からナーシング・ホームの許可システムが改定され、公的調査が強化されるようになりました。しかしながら、行政側がたとえ営業停止措置を執行しようとしても、入所者を他へ移すことができないため、依然として施設は強腰で、そのため劣悪な施設は後を絶たない状態にありました。また、その上、重い障害の高齢者が増え続け、施設は慢性的に不足していました。
また一方で、財政赤字の問題があり、アメリカの年間予算のうち、4分の1強が老人関係支出で、医療費の3分の1が高齢者向けに占められており、これらのことで高齢者は社会のさまざまな局面で厄介者扱いをされてきました。
長期ケアを施設(ナーシング・ホーム)が供給することへの米国での反応米国文化には反施設的な傾向が根強くあると同時に、しばしば「家族」の絆や「家庭」のもつ自由を理想化する傾向があるといえます。このような文化的背景からナ−シングホ−ムは、無視や放棄のイメ−ジがあり、個人の自由、プライバシ−、自己決定権、選択が制限されるなどの施設の持つ否定的なイメ−ジもつきまとっています。
何人かの研究者が施設の *1)パラダイムからナ−シングホ−ムを捉え、家族や友人達から隔離された入所者の孤独、入所者が与えられた受動的な役割、形式化する入所者と職員との関係、制限される入所者の自主性、ケア供給者と受給者間の親愛の情の欠如などを分析しました。
多くの研究者が、ナーシングホ−ムという環境は人を衰弱させ、不毛で非人間的なものであると説明しています(Kene&Kane1980)。そして研究者はその例として、家庭における家族と一緒の生活とは著しく対照的な事象を示していると報告しています。研究者はナ−シングホ−ムを望ましいものではないが必要であると考える一方で、人は家庭と家族をより肯定的に捉える傾向にあると語っています。
家庭にいるということは、自分のいる場所を確認するという事であり、安全な場所におり、その環境になじんでいることを意味します。我々の意味する「家庭」とは、自立し、自らが責任を持って選択し、決定できる場所を指し、また家庭とは親しみのもてる環境に暮らすということばかりでなく、住む場所と一体感(アイデンティティ)を持つことを意味します。
それは、人と場所とが結びつき、融和することであり、場所は居住者から、そして居住者はその場所からそれぞれアイデンティティを得られます。家庭とは、過去との関係を通して我々のアイデンティティが絶えず確認される場所であるとともに、日常の経験にはそれぞれに意味がふくまれており、その経験をした場所には、その意味が深く染み込んでいます。家庭環境に染み込んだ記憶は、我々がさらに新しい経験をすることを助け、新しい経験を記憶として残し、反復し、また新たにすることを助けます。
家庭とは、アイデンティティが集約された場所という概念の基礎となっています。実際、ナーシングホームの概念は施設モデルに支配されています。それは知性というレンズであり、それを通して長期ケア施設をとらえています。学者、研究者そして調査者がその報告の中で、さまざまな論点からナーシングホームを、否定的な面ばかりを持つ施設として取り上げてきました。
しかし、その反対に家庭的な施設は高齢者にとって最適であり、それは感情というレンズを通してとらえられたものであり、人間にとって非常にふさわしいものであると報告されています。我々はナーシングホームの全てを否定しているのではなく、ナーシングホームの姿が家庭的な環境であってほしいと望んでいます。なぜなら、我々が自分自身や家族のために求めているのは、あくまでも家庭的な環境であり、施設的な環境ではないからです。 *1)アメリカの科学史家T.ク-ンが1962年に提唱した概念で、ある時代に支配的なものの見方、考え方のこと |
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