医療情報の開示
 

● 「誰のため、何のための医療情報開示か」 -3- ●


カルテ開示ができないわけ

 一般的に言われるカルテ開示のできない理由として癌など悪性疾患と、精神疾患の 例があげられる。精神疾患については専門外なので詳しいことは差し控えたいが、癌の場合は本人が希望した場合、本人にとってマイナス情報があることを承知の上で情報提供を要求するのであれば医療者がそれを拒む理由はまったくない。(実際は本人と家族の意見が食い違った場合、という日本文化独特の問題はあるが。。。)本当にカルテの開示がしにくいわけは、医療の限界、不確実性 であると考える。
 人々の健康や長寿に対する果てしない要求、それに無理に答えようとした医療者、双方がつくりあげてきた幻想。体のことだから、命にかかわることだから絶対なんだ、限界や間違いはあってはならない、という幻想。医療者によって一方的にコントロールされる情報のベールの中に築かれてきた違った意味での白い虚塔。医療情報の公開、開示はこの砂上の楼閣を打ち砕き、医療なんてほどほどのもの、という現実を明きらかにしてしまうことに他ならない。かつての難病、結核など感染症を抗生物質によって克服し、長寿を手にいれた人間にとって病気の主役は癌や生活習慣病といった"簡単には治らない病"に変わっている。医学の進歩とはうらはらにますます限界と不確実性は身近なものとなっていくかのようだ。

これからの医療情報開示、法制化の流れに向けて

 今までに述べてきたような前向きに患者ー医療者関係をつくっていこうとする"明る い情報開示"は今後さらに加速していくだろう。一方、医療情報開示にはもう一つの大きなうねり、主に患者サイドからの満足できなかった医療行為に対して転院、セカンド・オピニオンを求め、また不信感から訴訟をも辞さないといった開示の要求がある。この"暗い情報開示"の要求に関して医療者は警戒心を持つ。医療記録を患者自身が知る権利は保証されるべきだろうが、現状ではカルテの開示は最終的に弁護士を通じた証拠保全という形を取らざるを得ない。そしてその時点で患者と医療者は訴訟を視野に入れた形で対立してしまう。
 医療記録の開示にはこのように大きな2つの流れがある。もちろん普段の明るいカルテ開示の推進が医療不信による暗い開示に至る状態を回避する最善の方法であることは言うまでもない。情報開示へと進む2つの流れは入口は違っても目的とする出口は同じはずである。提供される情報には当然患者にとって都合の悪い情報、副作用や合併症、そして医療、医学の限界、不確実性を含んでいる。医療者が正直に医療の不確実性を患者に伝え、患者もおまかせでなく医療によってもたらされる利益、不利益を理解し納得した上で医療を選択する必要がある。
 厚生省検討会においてカルテ開示の法制化の方針が打ち出されたが、罰則規定が明確でなく、カルテそのものでなくそれに替わる文章の提供でもやむおえない、遺族の請求は不可など患者サイドからみれば不十分なものかもしれない。カルテの記載方法や管理方法、それにかかる医療者の仕事量等、現状の日本の医療現場の諸問題を考えれば、開示にともなう周辺の環境整備はやはり必要だ。また個人の診療所と違って病院等組織では開示のシステムの整備にも時間とコストが必要である。さらに開示請求にともなうトラブルや、開示された医療記録に関する問題を相談できる公的苦情処理機構の設立は絶対条件だ。

情報開示によって癒されていく相互関係を

 情報開示をすすめて行く過程でのさまざまな問題点を一方的にではなく患者、医療 者の共同作業として解決していく中で21世紀の成熟した相互関係の構築がなされていくに違いない。たとえば高血圧患者に対して降圧剤を出す場合、放置した場合のリスクと、クスリを飲んで降圧することによるメリットと副作用などデメリットを説明して患者の選択を得ることになる。当然患者も自分の考えやライフスタイルにあった治療を選ぶためにはある程度の学習が不可欠となる。
 もしクスリを飲まないと言う選択肢を患者が選んだ場合、医者は「じゃあ知らん、勝手にしろ、」というのではなく、クスリをのまないと言う状況のなかでできるだけ合併症を防ぐためにできることはなにか、を相談していく必要がある。最近私が危惧するのは、一方的に情報を提供し患者に決定を迫り、「あんたが決めたんだから、、、」と責任を押し付けるインフォームド・コンセントごっことも言えることを平気で行う医療者の存在である。訴訟やトラブルを恐れる医療者が責任のがれのために一方的に提供する情報洪水に溺れておろおろする患者達。だれもこんな状況は望んでいないに違いない。
 限界ある医療の中で少しでも良い方法を選ぶという過程で、命の主人公である患者と専門家としての医療者の共同作業として医療がなされていく。たとえ途中で患者の気持ちが変わって、「やっぱり手術はしたくない。。。」となったとしても、やさしくその決定に寄り添う医療者の存在が病に苦しむ患者には必要だ。病気だけでなく医療者に対しても神経を使わねばならない状態では患者の心は癒されない。マイナス情報を一方的に押し付けるのではなく、限られた状況のなかであっても患者にとっての最善の方法を一緒になって考えていく、そんな作業の過程自体によって患者が癒されていくような医療情報開示の方法を考えていきたい。

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