医療記録の開示
 

● 私がカルテの開示をすすめたい理由とできない理由 ●


医療者の書く記録について

 カルテには医者の記録以外に看護記録、リハビリの記録、薬歴から栄養指導まであるが、ここでは医者の書く記録について述べてみたい。
 このカルテの開示、となると申しわけないがちょっと待ってくれないだろうか、と私は言わざるを得ない。別にそういう理念があるからではなく、字がきたなくて他人にはとうてい読めないからだ。ミミズがよっぱらったような横文字と略語のカルテはできればあまり人に見せたくない。

 だいたいきちんと書いている時間がない、いや時間があってもきちんと書けないのだが。さらに最近,患者の話しを聞きながら下を向いてカルテに書くのは失礼だ、語を聞く時はきちんと患者の顔を見て、と心がけている結果、ますますカルテを書く時間がなくなる。これを見るに耐えるものにするには時間が必要だ。その時間を確保することが、現在の日本の診療体制、単位時間あたリに医者が対応する患者数から考えるとかなリ不可能に近い。最近できるだけ日本語で、患者の言葉で力ルテを書くようにしているが、いきおい限られた時間で書こうとすると日本語よリ英語力の略語(腰部痛、よリ1bp-lower back pain 異常なし、よリn.p)となってしまう。

 そして医者が書くカルテには“医者の個人的私見”が書き込まれる。そのなかには、患者には見られたくない医者の個人的感想が含まれる。たとえば「many complains」。いろいろ訴えが多く、いわゆる不定愁訴といったもの。
 日常診療のレべルではメモ代わリに書き込むのがカルテであって、そこには公文書であるという意識はほとんどない。開示に耐えるカルテを書けないから開示しない、というつもりはないが・・・だいたい医者のカルテは他人に読まれることは考えていないのである。
 その点で看護記録は,医者の記録と違ってある程度同僚の看護婦に読まれることを前提に書いている点で「さらなる開示」に耐えやすい?ように思うがどうだろうか?

“私の力ルテ”の活用

 最近私は慢性関節リウマチなど慢性疾患の患者を中心に「私のカルテ」を作って活用している。これは医療記録の開示をすすめる会の発起人でもあリ、カルテ開示のパイオニアでもある橋本忠雄さんに習って始めた試みで、非常にすぐれた方法の一つである。患者自身が自分のノ一トを持って診療情報を管理するため、患者自身もみずからの疾病に対する理解が深まる。ただし、医療者側にカルテと同時に患者のノ−トに書き込む手間(橋本クリニックでは看護婦が担当)が生じ、またノートの自己管理をきちんとする患者とそうでない患者に分かれてしまうなどの欠点がある。

 患者は主治医に似る?のか私のクリニックでは、いいかげんな主治医に似て(なんて言うと失礼だが)「あ、ノ一ト忘れた」とか「めんどうくさいからもういい」などの反応も多いが、中にはすでに自分で作っていて見せてくださる患者(筆者のカルテよりよくわかる)もいたりしておおむね好評である。

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