ホスピス

● 黄色の薔薇に囲まれて Vol.4●
―愛する人と別れるとき―

 

 こんな私の姿を見て主人は「これはアカン」と思ったのでしょう、ある日突然、主人の言葉を思い出しました。思い出すと言うよりスッと心に入ってきたという感じでした。そ れは「自分はもう動けないけれど、がん患者さんのために何か役に立ちたい!」という言葉でした。そこで、体を引きずるようにして病院ボランティアに行くようになりました。

 ポランティアに行きだしてから少しずつ「鬱」が薄れていくような気がしました。 ある日、看護学生とのディスカッションに患者の家族として参加するように言われました。その頃の私は、まだ主人の死を口にすることさえ出来ませんでしたが泣きながら、声を震わせピクビクハラハラしながら自分の感情を出すことで、「鬱」はどこかへ飛んでいきました。この時初めて、人の役に立つことで自分が癒される事を実感しました。

 このことがきっかけになり、看護や医療の知識のない私でも看護の勉強をすればもっと内容のあるボランティアができるのでは?と単純に考え「ダメでもともと」と願書を出しました。受験勉強をすることで「鬱」を忘れるようになり、また、私が「受験」という目標に頑張って取り組む姿が、ボランティア先の患者さんにとって励みになると聞いてますます頑張ることができました。「合格・不合格は関係ない!1日1日を前向きに生きる姿勢が私達に勇気を与えてくれるのだから結果がどうでもお祝いをしよう!」と、なんとも心強い患者さんの声援のおかげで無事、入学・資格取得という目標が達成出来ました。働きながらの勉強は楽ではありませんでしたがとても充実した時間で、自分のどこにこれだ け頑張れるカがあるのかと?と感心するほどでした。

  主人の遺志を少しでも受け継ぎたいという思いに支えられながらの2年でしたが、このころから、家族と"もしもの時どうして欲しいか?”ということを話し合うようになりま した。人は誰でも必ず死は訪れると分かっていても、それはまだ先のことで身近に感じることは少ないと思います。また、縁起でもないと言ってなかなか死について話す機会もありませんが健康な時にこそ自分の考えを伝えるの大切なのでは?と思います。主人との生活は、告知を受け精神的に辛いながらも「死」に対して逃げたり向き合ったりしながらお互いの気持ちを大争にゆっくり話し合い確認する時間が持てたことは幸せだったと感じます。ですから、私はいつもお正月に遺言書を書いています。生前葬もしました。事故や病気で助かる見込みの無いときはどうしてほしいか。臓器提供について、お葬式について、 少ない貯金をどうするか?等々、形にこだわらず楽な気持ちで書き、、家族の前で読み上げ ます。そうすると、小さな甥っ子はおばちゃんに優しくしたらおこずかいがもらえると1、2ヶ月はこまめに優しくしてくれます。これは、私だけでなく家族の考えを知る機会にな りました。

 資格試験を目前にしたとき、震災がありました。この時、ある方から、震災でご主人を亡くされ悲しんでいる友人を何とかしてあげて欲しいと相談を受けました。私は考えまし た。私に何ができる?彼女の悲しみにどこまで近づけるか?と不安でした。というのも、 私達が闘病しているとき、主人のお友達が亡くなりました。建築関係のお仕事をされている方で、朝いつものように出掛けましたが、現場の高い所から転落し即死状態でした。あんなに元気で出掛けたのにあまりに変わり果てた姿に大きなショックを受けた奥さんはお葬式に出られないほどの悲しみだったことを思い出したのです。私達は幸いに「充分話し合う時間があり、イヤイヤながらも死」をどこかで意識する時間もありましたが、震災でご主人を亡くされ、その時間さえも与えられなかった彼女の気持ちを考えると、どんな言葉をかけれぱいいのか分かりませんでしたが、何とかしたい!と思い、お電話をするようになりました。

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