ホスピス
 

● 黄色の薔薇に囲まれて Vol.3 ●



  結局、主人が納得した方法は主人の友人にお願いすることでした。仕事の合間を縫って来てくれている間に私が用事を済ませるのです。何かおかしい?と思われますか。家族の理解と協カがあっての在宅ですが、状態が悪くなってくれば家族の気持ちも動揺します。体が動くうちはお互いの考えを分かり合う努力をしてそれなりに問題をクリアしてきましたが、状態が悪くなり残された時間がわずかと分かったとき、一番悲しいのは残される家族なんだから、その気持ちを分かってくれ!とそればかり訴えてくるようになったのです。だから、主人は家族が来ると寝たふりをしていました。  

  子供を先に亡くす親の気持ちははかり知れません。でも、あと2〜3ケ月の命と言われたら"最期まで自分らしく生きる"ことに理解を示せば本人だけでなく、残された家族にとっても悔いの少ない看取りができるのではないでしょうか? 誰が―番悲しいか?誰の気持ちを優先させるべきか?難しい問題です。 私は初めから主人公はもちろん"主人"で、家族にどう思われようともこの考えは最期まで変わりませんでしたが、それは主人が望んだことだからできた事です。

 悪いながらも穏やかな日が1ケ月も過ぎた頃、今までにない腹痛を訴え夜中に目を覚ましました。黄疸が進んでいることは分かっていましたが、このことがきっかけになったのか体カ・気カともガクッと落ちたようで少しずつ確実に衰弱していくのが辛かったです。普段から抜け毛には気を付け分からないように取り除いていましたが、ふとしたことから異常な抜け毛に気づき、狂ったように自分の髪の毛を抜き「あと、―週間も生きられないから葬式の準備をしてくれ」と言いました。確かにこの2〜3日の状態は良くなかったですが、そんなに早くどうにかなるとは思えませんでした。  

  翌日、悪寒を伴って発熱しましたが脈は正常。早速、往診に来ていただきましたが、この時、時間があまりない事を再度伝えられ、体温が下がり脈が速くなったら連絡するようにと言われました。ショックを感じる余裕はありませんでした。主人も「だいぶ弱ってきたナ」と落ち着いていました。
 熱は次の日も続き、腕の点滴を抜いてしまいました。もしもの時のためにと、主治医は自宅とポケットべルの番号をあらためて教えて下さり、夜でもいつでも電話してきなさいと言って下さいました。すぐに行けない時、代わりに来ていただける先生も教えてもらい、それからすぐ診療内科の先生がカウンセリングに来て下さいました。少ない人数ですが万全の体制のおかげか熱も下がり―安心しました。
 カウンセリングの回数も増えたことが主人を精神的に楽にさせ、最期の力を振り絞るように「死」に向けての指示を始めました。

 まず、施設への寄付。お葬式の時にかける音楽とお花、そして遺影。親しい友人に電話をし、遠回しにお別れのメッセージを伝える。売却出来る物全てを売る。生命保険の確認。遺言の確認。家族は黙って聞いていました。
 ある日の夜、トイレに行こうと立ち上がったとき「結婚を考えた時、―度だけダンスしたな。もう―度踊ろうか?」とおぼつかない足取りで体を支えながら踊ったのを最後に自力で立つことはできなくなりました。
 主治医と心療内科の先生は相談しながら状態に合わせ処方を変えていきました。尿量が減りましたが、―日三度の食事は少ないなも楽しみながら食べられました。
 主人が亡くなる10日程前、下血があり、輸血をしました。酸素ポンべも用意しました。パニックになったのは私だけではありませんでした。家族は「まだ、入院させないのか?もし何かあって手遅れになったらどうしてくれるんだ!」と私に詰め寄り、「何かあったら救急車を呼びたいが、近所があるので、その時はサイレンを鳴らさないで来てくれるように」と主治医に頼みました。それだけではありません。主人が眠っていると思い遺影をどうするか?果ては、死装束はどれを着せようと話し合いを始めました。主人は大きな声で「わしは入院なんかせえへん!まだ生きてるんや!そんな話しはここでするな!もう全部決めてあるんや!」と怒鳴りました。私は「主人の言うとおりにします。入院はさせません。」とだけ主治医と家族に伝え、主治医はべッドはいつでも用意できますからと言って帰られました。  

  そして、主人は私に「もう、笑わなくてもいいからな。ありがとう。」と言いました。それから家族は毎日顔を見に来てくれましたが会話はあまりありませんでした。私と主人は昔の恋愛時代を愛おしむように話しました。意識レべルは下がり、最期は「ウンウン」とうなずくだけでしたが息をひきとるまで続きました。人の聴覚は最期まで残ると聞いたことがありますが、まさにそのとおりでした。
 主人が亡くなる瞬間の情景は未だに鮮明に記憶されています。何年経ってもやはり涙がでます。その当時は必死でしたが、こうして思い出していると、これで良かったのか?あの時もっとこうしておけば良かったのでは?と悔やみ自分を責めたくなります。

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