● 黄色の薔薇に囲まれて Vol.2 ●
―愛する人と別れるとき―
2月10日
公証人役場へ行き遺言状を作成する。2月13日に出来る。
さぁ、これからどう生きる?今日をどう生きる?痛い痛いと言いながら生きていくか、他の生き方をするか?建設的な生き方とは?1日1日を大切に!難しい事だ。
検査結果を聞きに行くとき主人は―人で行くと言いました。そうかも知れないと思いながらどこかで否定していましたが、事実を知り主人は「辛い!なんでこんなに辛い目にあわなければいけないのか」。私も「本当に辛い!辛すぎる!」と、泣き崩れる私を見て主人は「ありがとう。気持ちを分かってくれてありがとう」と言い、抱き合って泣きました。
私は主人との闘病で"今、何をして欲いぃのか?"といつも考え、希望が叶えられるよう必死で受け止め実行してきましたが、遺言状作成については大きな抵抗を感じ、又主人の「死」を認めることなんて出来ないと拒否しました。しかし、そんなことに構わず主人は話しを進めていきました。「大事なことなんや!一緒に考えてくれ!」と叫ぶような声に私はもう―度考えました。
主人の家は古い習慣が強く残っていて、長男は親、兄弟に何かがあれば全て面倒をみなければならないと子供のころから言い聞かされていました。そのために産んだのだと…"。長男の嫁も同じです。他にも細々したことがありましたが、大きなしがらみの中で生きてきた主人を思うと 主人の人生って何?今、この場になってあえて強要する家族に大きな疑問を感じました。
「死」を意識しながらも前向きに生きていくには、今まで背負って来た物を―つずつ下ろし、しがらみから解き放されなければ打ち込めないのだと思いました。家族がどう反応するか気がかりでしたが、希望だげでは闘病できない所まできてしまったんだ、私が主人の「死」を受け入れなければ―人での闘病になってしまう。あきらめでなく、残された時間をより良くするためにも主人の背負ってきた荷物を下ろすことに協カし、一緒に闘病に打ち込まなければそれが主人の人としての尊厳を守ることになるんだと言い聞かせ話し合いました。初めは重苦しい雰囲気でしたが話すうちに自然に、素直に考えられるようになりました。
こうして、すったもんだの末に「よし!病気と闘うぞ!」と気合いを入れ直しましたが、この時主人から―つの注文がありました。それは「辛いかもしれないけどいつも笑顔でいてほしい」ということでした。それから私は主人が「もういいよ」と言うまで―人で泣くことはあっても主人の前で涙を見せることはありませんでした。
翌日から10回の予定でリニアックをあてに行きました。私にとっても初めての経験でしたが検査室の扉が残酷すぎるほど冷たく、大きく、重たく、私達の間が遮られるような、主人が手の届かない所へ行ってしまうような思いがして泣けてしまいました。
ここでもう1度主人の日記から・・・・。
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