ホスピス
 

● 黄色の薔薇に囲まれて ●


―愛する人と別れるとき―


<不安との共存>

 手術を受けると決めてからべッドが空くまでの10日間は、告知の時とは違う重苦しい毎日でした。
仕事をしていても、口には出しませんがどこかに「死」を感じ、とてつもなく大きな不安を感じているのが手に取るようにわかりました。だからこそ、精神的に少しでも楽になるように努力をしなければと思うのですが、普通の日常会話さえ出来ず悶々とした時間が過ぎていくばかりでした。イヤイヤながらも自分の置かれている状況を受容し、これからどのように闘病するかを考えた主人は「これから先、まだまだしんどいぞ!家族はあてにならないし離婚したほうがあんたのためだ」と言いました。今まで抑えていた感情が一気にあふれ「なんてこと言うねん!出て行けと言われても出ていかへんワ!ポロポロになっても離れへんからね!」と、泣き出す始末。自分が必要とされていないのか?と、とても悲しい思いでした。
 でも、このことがきっかけで「2人で闘病していくんだ!」という決意がかたまった気がします。この日、精神的にちょっぴり楽になり、ようやく安堵して眠れました。
翌日、さっそく親しい友人に電話をし家に呼び、全てを伝えました。当然ながら、みんな驚きましたが、言葉を選び傾聴して下さり暗い雰囲気はありませんでした。それから忙しい日が続きました。またもや本屋さんに行き、今度はがんの治療法についての本を(民間療法も含む)買い、これはどうだ?あれはどうだ?手術に耐えられる体力を付ける食事は?控えたほうが良い食事は?気功を始めたりと、内に向けられた気を外に向ける事で不安を感じる時間が減りました。

<入院・手術>

 「明日、入院して下さい」と連絡をいただき、いよいよかと身が引き締まると同時に不安がドッと押し寄せました。その夜はどんな話しをして、何をしたのか?記憶にありません。
 毎日通うのだからと運転は私。主人は隣でこの道の方が覚えやすいとか、近いとか指示をしますが、会話はとぎれとぎれてぎこちありませんでした。
 入院すると間もなく教授回診を受け、その後、すぐに外泊許可をもらい家に帰りました。
「やっばり家がいい」と主人は言いますが、イライラはピークに達し、手がつけられません。夜は2人とも眠れず、「あと、どれくらい生きられるかナ?」と聞かれて、どんな返事をしたらいいのか分からず、ただ、「今日を生きよう。今を大事に生きようョ。」としか言えませんでした。
 何でも心を開いて話そうね、と言っておきながら、主人の不安・恐怖の訴えに戸惑うばかりで受け止められない自分がはがゆく、どこまで出来るか?と急に不安になりました。翌日は軽くタ食を済ませてから帰院しました。付き添いは必要ないとのことで、しぶしぶ帰宅しますが心配でたまりません。「死ぬまで仕事をしたい。最期まで責任を持って仕事をしたいから、留守の間は頼む」と言われていたのでそうするつもりでしたが、夜中に不安いっぱいの主人の声を聞いて、居ても立ってもいられなくなり、家の中を一人ウロウロ歩き回り「明日から私も病室にいるぞ!絶対に帰らへん!誰がなんと言っても。私の主人なんだ。私達の大事な時間なんだ!」と気合いを入れました。  朝1番の電車で病院に着きましたが、この計画は主人には内緒でした。
「手術の前処置が始まるから退室を」と言われましたが「邪魔しませんから」と丁寧にお断りしました。主人は部屋を出ろと目で合図しますが首を横に振りました。看護婦さん が「気分が悪くなるかもしれないですよ?」と気を使ってくださいますが、私は大丈夫ですから(本当に大丈夫かな?とハラハラでしたが)どガンとして動かないので根気負け してくれました。
 それが悪かったのか?IVH挿入に失敗!肺に刺さってしまったとドクターから説明がありましたが、それが何を意味するかさえ分からない私はパニック状態。怒り爆発!あわた だしく連れて行かれたと思えばあわただしく連れ帰ってきて、部屋はドクターと看護婦さんであふれ返っています。主人は「イタッ!」と脂汗をかき、必死で吸引の痛みを我慢し ています。そこへ家族が来て、何がどうなっているのか分からず、怒るやら、泣くやらで大変なことになってしまいました。 主人には悪いけど、そのお陰で私は付き添いを許されたのです。肺が元に戻るまで手術は延期になりましたが、比較的穏やかな日が過ごせました。 やりにくい奥さんと思われたかもしれませんが、気が付けば病室が看護婦さんの休憩室のようになり―緒に笑って、泣いて、励まし励まされ、恋愛相談まで聞いたりと、主人の外面の良さと私のド厚かましさに大笑いしました。

 8月28日、いよいよ手術です。
前日はどんなふうに過ごしていたか…。これも思い出せません。
当日、朝早く起き、丁寧に歯を磨き顔を洗い、ひげを剃り、髪を整え、主人の大好きな曲を聞きながら精神リラックスに努めました。
時間になると看護婦さんが部屋に来て、ストレッチャーに移り「頑張ってくるからな!」
「頑張ってね」と握手をして、Vサインをする主人を見送りました。心の中は「どうか上手くいきますように!」と祈る気持ちでいっぱいでした。

 当初の説明では4〜6時間ほどの手術予定でしたが、9時から始まった手術が終わったと連絡があったのは9時間後の18時15分で、悪い部分は全部取れたとの事でした。ナ―スステーションに行き、切除された部位を実際に見て、「こんなにたくさんのがんが主人の体にあったのか!」と、あらためて事の重大さを痛感しました。集中治療室に面会に行くと、モニターを付け挿管されている姿を見て嘔吐しそうになり、そのままひざまずいて泣き崩れていまいました。意識もうろうとしている主人はそんな私に麻酔科の先生を紹介したのです。(本人はまったく覚えていないと言っていましたが)こんな時に何故そこまで気丈になれるのかと言葉を失い、涙も止まりました。取り乱したまま病室に戻り、「とりあえず今は寝よう!とても疲れた。これからが勝負なんだから…。」と倒れるように眠りました。とても長く重い1日でした。

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