ホスピス
 

● 黄色の薔薇に囲まれて ●


―愛する人と別れるとき―


提供:だいとう循環器クリニック機関誌 「花みずき」

  以前から在宅ホスピス研究会に関心を持っていましたが、友人に誘われて播磨ホスピス在宅ケア研究会の総会に行かせて頂いた事がきっかけで、「姫路ひまわりの会」 に入会致しました。というのも、私は主人と義父を在宅で看取ったことから『在宅療養』や、残された遺族の悲観の大きさについて考えるようになりました。決して楽なことではありませんが在宅で看取ることで本人・家族のやり場のない複雑な心情が少しでも軽減でき、より良い時間が持てるのでは?と思います。
 幸いにも、本人と家族が在宅でという強い意志を示せば、だいとうクリニックのスタッフの方々や「ひだまり」のポランティアが出来る限りの支援をして下さいますし、「姫路ひまわりの会」のメンバーが遺族となった方々を暖かく受け入れ、悲しみを癒して下さいます。
 私もまだ癒しを必要としている遺族の―人ですが、闘病されている方・遺族の方が少しでも前向きに生きていけるようにと願って、私達夫婦が「がん」と「死」に対してどう向き合ってきたかをお伝えさせていただきます。


<検査入院>

 1991年7月、暑さには強い主人でしたが、めずらしく食欲が無くなりました。
「これだけ暑かったら誰でも食欲なくなるよナー」と言いながら、いつもと変わりなく過ごしていました。 そんなある日、外出の帰りにお寿同を食べに行きましたが、主人が翌日から腹痛と下痢に悩まされ「食あたりや!」と大騒ぎ2〜3日で下痢は治まったものの、シクシクとした腹痛は続きました。しばらくして、入浴中に「お腹にコロコロする物がある」と言うものですから、それは大変だ!とさっそく受診することになりました。
 エコーを撮ってもらうと肝臓に何かあるということで、後日あらためて精密検査を受けることになりました。この時、主人は「肝臓がんかも?」と聞かされていましたが、主人の希望で私には知らされませんでした。ただ、帰ってきた時の険しい表情からあまり良くない結果であることは分かりました。そしてすぐに「本屋へ行こう!」と言い、がんに関する本をたくさん買う姿を見て、まさか?嘘やろ?と思いながら信じる事が出来ませんでした。
 検査入院した日、義父が心配して結果を聞きに行き、その夜、私に伝えられました。
精密検査の結果は直腸がん、肝臓転移・横行結腸がん。進行性でしかも末期。残された時間は早くて半年、長くて1年。
 翌日、泣き明かしましたと言わんぱかりの私の顔を見て、自分が告知を希望したこと、手術はしないことを自分の口から私に伝えたかったと言い、それからどんな話しをしたか覚えていません。

<大学病院へ>

 告知を受けた主人は自分がやり残した事をする為に手術を拒否しました。
それだけ残された時間が少ないという焦りを強く感じたのだと思います。しかし、このままでは腸閉塞を起こす危険性があり、そうなればもうと時間は短くなる可能性があると、家族のためにも自分のためにも、あえて命を短くすることはしないで手術を受けるようにと、主治医の先生に説得していただきました。そして、大学病院に行けば肝臓手術の権威がおられるからと、帰宅するとそのまま主治医の先生と義父と共に大学病院に行きました。教授のお話によると「肝臓のがんは取れる、しかし5年生存率は50%だ。」と言われたそ うです。
 その場で返事をしなければならなかった主人はとても辛かっただろうと思います。 主人は自分が5年も生きられるとは考えていませんでしたが、「取れる」と言ってくれたことで手術を受ける決意をしました。
 手術を受けるのは"生"への希望でした。希望のない闘病はあまりに辛すぎるものです。

 一度は拒否した手術を受ける気になったのは何故でしょう?病名だけでも受け入れがたい事実なのに、そのうえ余命を聞き、「手術して取りましょう」と言われても…気が動転し、投げやりになってしまうでしょう。(医療現場のドクターだって、好きで言っているわけでほありません。それなりに、辛い思いをして下さいました。)
 たった3日間のあいだ私達の気持ちは大きく揺れ動きました。嘆き悲しむ時間はありませんでした。主治医の先生の言葉、教授の言葉が主人を我に返らせ希望を与えて下さったことも事実ですが、私はそれだけではないと感じています。告知を受けた時の家族の反応です。家族にとっても、もちろん受け入れがたいことです。悲しい事実にどう向き合うか?私以外の家族は「もうダメだ!」「助からない!死ぬんだ!」と弱気になり、諦めてしまったのです。そして、感情を露わにしました。(その気持ちは良く分かりますが泣きたいのは 本人なのです。)
 その様子を見た私は、病識がないことが幸いしたのか?事実を拒絶するためか?「病気に負けてたまるか!立ち向かうそ!主人は私が守るんだ」と思いました。
主人は、今まで遠い存在だった「死」が近い物と感じることで「まだ、死にたくない」という気持ちから「生」への意欲が湧き、家族が「死」を認める姿を見て、「死んでたまるか!」と、生きる希望がより―層強いものになったのだと感じています。夫婦そろってあまのじゃくなのでしょうか?不安が大きければ大きいほど、強くなれたのはお互いの気持ちが相乗作用となっていたと実感します。

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