ホスピス
 

● パパらんの贈りもの ●


 再入院するまでに私たち家族は夫を含め、今後の事を何度となく話し合っていました。
初めの退院の後、定期的な抗がん剤治療と検査のため病院に通院する以外に、友人から姫路地方で在宅医療に力を入れておられるクリニックのD医師との出会いは、その後の私の生活にとっても重大なものとなりました。それは夫亡き後の私が新しい道を歩むきっかけとなったからなのです。夫もこの医師には全面的な信頼を置いていました。医師は在宅治療の可能性を告げてくださっていました。通院できている内は良かったのですが、いよいよ通院が無理になってきたとき医師の訪問による在宅医療と病院での入院治療を選択するとき、夫は病院を選びました。いくらD医師や私たちが在宅での治療を進めても夫の心は変わりませんでした。間違いなく夫は勤めを持つ私のことを考えていたに違いありません。そして終末期にはホスピスをと互いに考えていたのです。

 しかし夫の病状は急速に悪化し、ついにホスピスに行くことなく一般病棟で終末を迎えたのです。姫路赤十字病院の医師も看護婦さんもホスピスでなくても充分対応出来るとはおっしゃってくださいました。そして事実本当によくしてくださいました。けれど私はやはりホスピスの必要性を強く感じているのです。それはなぜかというと、患者のみならず、患者家族にとっても医師や看護婦たちの接触の時間が短いということにありました。このことは、特に終末を迎えた時に強く感じました。
また、大変な事かも知れませんが、患者にとってより良いのは、在宅医療、すなわち終末を自宅で迎えられるということではないかとより強く感じたのです。

 再入院以来、幾度となく主人の病状について主治医の話を聞きたいと思いましたが、なかなか思うようにはいきませんでした。事実忙しそうに立ち振るまっておられる姿を見ていると、とても面談を希望するなどと切り出せなかったのです。
 この時、私のように末期がん患者を介護している家族の心に大きな心のケアを下さったのは、外来で見ていただいたクリニックのD医師だったのです。在宅医療を拒む夫、再入院は通院に限界を感じられたD医師の進めによる入院でした。もちろんD医師と病院との連絡は常に通じていました。入院に際し、D医師は私に対して、「いつでもいいから気になることがあったらすぐ電話してくるんですよ。」と伝えてくださいました。私は病院での不安を相談するため、幾度となく電話しました。どんなに遅い時間でもいつも快く対応してくださいました。そして安心して電話を切ったものです。

でも、一度だけこのD医師に叱られたことがあります。それはなかなか主治医に会うことが出来ず、夫の状態等を聞けないと言う私に、
「何言っているんですか、ご自分の御主人のことでしょう。聞<のが当たり前じゃないですか。ちゃんと面談を申し込んで話を聞かないといけませんよ。」
きつい返事をくださいました。気を取り直し医師に面談をお願いし、時間を取っていただいたのですが、そのとき主治医から聞いた言葉は、今月中はとてももたない。あと1〜2週間と思ってほしいということでした。突然の医師の言葉に「どうして、どうして。」という思いが頭の中を駆け巡ります。医師たちの予想を越えて夫の体内でがんの成長は進んでいたのです。9月30日は夫の誕生日です。それなのにその日を迎えるのは無理だと言われてしまったのです。

 

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