ホスピス
 

● パパらんの贈りもの ●


「おーいっ。みんなブンナを忘れるな!」
「ブンナよ木から降りてこい」という演劇の舞台に立っているのです。
ふと夫の手元を見ると、口にタバコを加えている仕草、右手でライタ−の火を点ける格好をしながら、左手は風を覆うように右手の前にかざしています。やがて火がついたのでしょう。おいしそうに煙を吐く仕草をしています。満足そうな笑みを浮かべ、目をそっと閉じています。私は思わず娘と目を交わし微笑み合いました。
 子供たちからの寄せ書きの色紙を夫に見やすいようにと壁に掛けようとしていた時の事です。いきなり背後から夫の声です。
「よーし、もう少し右を上げて。」
「ウ−ン、よしよし。それでいい。」
夫にとってそこは教室だったのです。子供たちに囲まれた中で子供たちと一緒に教室の掲示をしているのです。夫は自分が空想と現実の世界を行き来しているのを自覚していました。幾度となく私たちに、
「今は現実か。」と尋ねるのです。悲壮感もなく、そう語りかける夫に、
「そうよ、今は現実よ。お父さん夢見ていたのね。」私たちはいつもそう答えていました。

 二度目の入院で私は幾人かの看護婦さんたちとの接触を持ちました。そして思ったことは、「看護するということは、心が大切なのだ」という事でした。技術が大切なのはいうまでもありません。でも心があって初めて技術が生きるのです。
 大勢の患者をかかえ、いつも忙しそうに働いておられる看護婦さんの中にも、夫のこの状態を受け入れてくださっている方が幾人もおられました。幻想の中にいる夫に合わせた対応をしてくださるのです。そんな時いつも夫に気づかれないように手を合わせ感謝の心を伝えたことも度々でした。

 ある晩のことでした。その晩の当直の看護婦さんは、とても若い方でしたが、夫が心を開いていた方の一人でした。腎臓の機能も悪化していたのか尿の出が極端に悪くなっていました。毎日尿の量を報告していましたが、夫はいつも尿のことを意識していました。その看護婦さんが夜中に見回りに来られた時のことです。今日は報告した以外に本当はもう1回していると言うのです。どうして用紙に記入しなかったというと、それはお盆の中にしてしまったからだというのです。そして側にある洗面器を手に取り、底から3cm位の ところを指さし、これくらいの量だったというのです。その方は笑顔を絶やさず、真剣に夫の話を受け止めてくださるのです。何度も何度も繰り返す夫にいやな顔ひとつ見せず、根気よく聞いてくださいました。夫に気づかれないよう何度も頭を下げ手を合わせる私でした。

 しかし、中には極めて事務的とすら言いたくなるような態度で対応なさる方がおられました。そんな方にはピタリと心の戸を閉ざすのでした。そしてその方が部屋を出られると、
「玉ちゃん、あの人駄目や、悪い人や。」と言うのです。
そんな時いつもその場では夫の言うことを一応肯定します。そしてしばらくして、夫の落ち着いたところを見計らって、
「お父さん、よく考えたらあの人いい人ちがうかしら。お父さんのことよくしてくれたよ。」と言うと、夫は納得し、
「そうか、やっぱりいい人なんか。」と受け入れていました。
しかし次に来られた時の夫の様子を見ていると、その接し方にははっきりと相違がありました。夫を受け入れ優しく接してくださっていた方々には甘える様な笑顔を見せ、もう一方の方には事務的と思いたくなるような凡帳面な返事を返していました。患者の立場に立ち、患者の側に身を置くことが出来る。そんな方こそ心ある看護をしておられるのだとつくづく思い知らされました。

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