ホスピス
 

● パパらんの贈りもの ●


 翌日からは、夫の病状のよくないのを聞きつけた方々が次々と見舞いに来てくださいました。夜はほとんど眠れない日が続く私にとって辛い日もありました。私は娘がいてくれる間に人気のなくなった外来の待ち合いの長椅子で眠ったりしたこともありました。でも来てくださる方々は心から夫を心配して見舞って来てくださる方々ぱかりです。たちまち病室は見舞いの花であふれました。入り切れない花をバケツいっぱいに挿すとそれはもう立派な大きな花瓶のようになりました。壁には子供たちの励ましの寄せ書きを飾りました。各学年の子供たちが励ましの手紙を文集にしてくれていたのですが、それを受け取った時にはもう夫には読む力がなくなっていました。息子が読み聞かせる子供たちの便りにうなずきながら、嬉しそうに聞き入る夫でした。

 この頃、夫は起きている時間のかなりの割合を幻想の世界で過ごすようになっていました。肝臓の機能がかなり悪化し、有毒物質は充分に分解されないまま血液に戻り体内を巡り、脳に回ったため起きる肝性脳症といわれるもののようでした。やがては肝性昏睡という眠った状態となり、死を迎えるとのことでした。人によっては、夜と昼が逆になったり、暴れたりという行動に出る場合もあると聞かされておりましたが、夫の場合は本当に楽しそうに夢の中をさまよっていました。

 慌ただしく家の用事をすませ、病院に急ぎ戻るという日の繰り返しでした。そんなある日のことです。乾き上がった洗濯物を持って病院に戻りエレベーターを降りて病室に行こうとしたら、向こうから点滴のスタンドを押しながら病院の廊下をニコニコしながら歩いている夫の姿が目に入りました。
 廊下のソファ一に座って夫を見ていた方が、
「ご主人は生徒さん達とキャンプしていらっしゃるんですよ。」
と教えてくださいました。
「ウワー、キャンプしてるんや。でももう終わったよ。帰りましょう。」と言う私に満足そうな笑顔でうなづきながら病室へ戻ろうとするのですが、そっと後ろから見ていると、病室の反対の方へ歩いて行くのです。「方向が間違ってる。」とはとても言えませんでした。そっと側に行き、
「オッ−と、お部屋こっちの方と違う?」と部屋の方を指さす私に、
「そうかそうか、間違えかけていたなー。」と嬉しそうな様子で病室に戻って行きます。

 ある時のことです。夫・娘そして私の3人が病室で話をしていました。すると突然にいずまいを正すように正座した夫が、
「ただ今より、平成4年度、太子西中学校卒業式を行います。」
稟とした大きな声でした。夫の頭の中ではその声は体育館いっぱいに響いていたのでしょう。夫は小学校の教師なのに、なぜ中学校の卒業式なのだろうと私は首を傾げました。でもすぐ理解出来ました。平成4年度に中学校を卒業するというのは、娘と同じ年の子たちです。
あの夫のために同窓会を計画してくれた子供たちが中学校を卒業した年だったのです。

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