ホスピス
 

● パパらんの贈りもの ●


  月が変わり9月1日、それは8月31日の日付が変わったぱかりの午前0時を少し過ぎたころです。家で寝ていた私は電話のべルで起こされました。病院からでした。生命にどうということはないが、夫が発作を起こし苦しがっており、私を呼んでいるというのです。
すぐ来るようにとのことです。慌てて子供を起こし病院へ行くことを伝え、身支度もそこそこに車を走らせました。夫は処置室(回復室)におり、医師や看護婦に囲まれ上半身を起こした形のべッドの上で苦しげな様子でした。そのうちゼーゼーという息づかい、瑞息の発作でした。
「先生、喘息です。」
そう叫ぶように言った私が次に目にしたのは、みるみる内に紫色をして全身に広がっていく蕁麻疹でした。ただ側で見ているしかない私でした。苦しそうな夫の姿に背中をさすろうとしてもその手を払いのけてしまうのです。苦しいからすぐ酸素吸入のマスクを外そうとする夫に余計苦しくなるからと諭すようにして、その□元にマスクを戻しました。長い長い夜でした。少しまどろむようになってきた夫は、明け方近くになってから静かな寝息をたてるようになりました。

 朝が来ました。すっかり元気を取り戻した夫は、昨夜の発作が起きる時の様子、起きた時の様子をニコニコしながら話してくれるのです。病室も個室に移してもらいました。その日の夕方の事です。
「お父さん、今晩私泊まろうか?」と言う私に、大丈夫だから早く帰って子供たちと食事をしてくれというのです。医師や看護婦に相談しても、今はまだ大丈夫だと言われました。でもなぜか不安でたまりませんでした。子供たちとも相談し、この日から病院に泊まり込むことにしました。いったん家に帰ってから急いで支度を整え急ぎ病室に戻ると、なんと夫は自分のべッドから布団類を下ろし、私のため、簡易べッドの上に寝床を用意しているのです。泊まらなくていいと言いながら、やはり待っていたのです。

「ありがとう、でも私は別に用意しているから」と言いながらべッドに布団を戻している私に、
「僕な−、ほんまは玉ちゃんに泊まってほしかったんやでー。」
と嬉しそうな笑顔で言う夫でした。やはり、もう一人では無理でした。残された命がもう短くなっていることを自覚していたかどうかは分かりませんが、夜になるといろいろのことが巡って来るのでしょうか、なかなか寝かせてはくれませんでした。もう少し世間話をしようと言っては私を起こすのです。しばらく話をし「疲れるといけないからもう明日にしよう。」という私の言葉に安心したように横になるのですが、 しばらくすると、またガバッ!と起き上がり話し出すのです。何回か同じことを繰り返し、そのうち疲れたのか、静かな寝息を立てだしました。ホッとして簡易べッドに横になってしぱらくすると、今度は苦しそうな息づかいが聞こえて来ました。慌てて起き上がった私は夫の側に駆け寄り、夫の体を揺すり苦しくないから一緒に大きく息をしようと言って「フーハー」と大きく吸い込んでは吐く吸い込んでは吐くという動作を夫の息づかいに合わせながら繰り返しました。やがて夫は楽になったのか眠りについてくれました。そして心から泊まって良かったと思いました。側にいなければまた発作を起こして苦しい思いをさせていたかもしれな かったからです。

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