● パパらんの贈りもの ●
娘は夏休みに入るとすぐ家に帰って来ました。それからはほとんどずっと父親のそばにいました。帰りの遅い私に代わり、夫とともに過ごしてくれたのです。そして8月末のある日、
「お母さん、もう絶対お父さん一人にしたらあかんよ。かわいそうよ。」と言いました。
夫の残された命がいよいよ短くなっていたのです。娘と息子の3人で話し合いました。そしていつも必ず誰かがそばにいて決して夫を一人にしないでおこうということにしました。息子も部活や塾に行く以外はほとんど夫のそばで過ごしてくれました。初めてMSコンチンを飲み始めてから1ヶ月程の間にその量はどんどん増えていきました。そんなある朝のことです。いつの間にか私の出勤前に朝風呂に入るのが日課になっていた時のことです。いつものように機嫌良く目覚めた夫に、
「お父さん、お湯入ったよ−。お風呂に入ったら?」と声をかけました。
「僕な−、今日はバスで来たんやで。いっもは自動車で来るんやけどな一。」とニコニコした顔で話しかけるのです。一瞬私の心は止まったようになりました。だけど思い切りの笑顔を作り、
「そおー、バスで来たの。」と返事しました。
幻想の世界に入り込んだのです。薬のせいだろうか。それとも自己を守るための脳の働きでこのような現象が起きたのだろうか、肝臓が侵された結果こうなったのだろうか、などとそんな思いが頭の中でグルグル回りました。風呂の中からは柔らかな湯音が聞こえてきます。涙が出そうになりましたが、泣いてはいけないのです。やがて風呂から上がった夫は私にこう言いました。
「さっき、変なこと言ったやろ。」
私は返事に戸惑いながらも
「何、ああ寝ぼけて夢でもみてたの違う?」と、とぼけた返事を返しました。
「そうなんや−、時々変なこと言うかもしれへんけど、気にせんとって。」と語る夫の顔に陰りのないのを見つけ、近づきつつあるものをいやでも感じずにはおられませんでした。
「僕、死ぬのは怖くないけど、痛いのはいややな−。」
「お父さん、今は痛みの治療は進んでるらしいから心配せんでいいらしいよ。」
「ふ−ん。そんならええわ。」
ある日など、こんな会話を交わしました。
目に見えて弱っていく夫。そしてついに8月29日、再人院となってしまいました。
でもまさかこの入院で逝ってしまうとは想像もしませんでした。まだ元気でしたから。
きっと暑さのせいも手伝って弱っているのだろうから、秋が来たらまたもう少し元気を取り戻してくれるとばかり思っていました。ただ夫を病院に送り家に帰って来て、人院直前まで夫が寝ていた布団を目にしたとき、まだ帰ってくるのだと思いながらも、たまらない寂しさが襲ってきて、涙が止まりませんでした。再入院のとき、主治医もはっきりと
『長期戦で行きましょう、とりあえず1ヶ月程の人院と思っていて下さい。そしてその後また自宅療養にしましょう。』と言われました。
死が切迫しているとはとても思えませんでした。ですが、予想に反して入院と同時に夫の病状は目に見えて悪化していきました。それでも医師たちは半年は無理でしょうが、2〜3ヶ月がどうかというところでしょうかと言われました。
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