● パパらんの贈りもの ●
夫の発病以来、実に大勢の方がさまざまな面で援助して下さいました。がんにいいからと、遠くからビワ酒を送っくださった方もおられました。また、「アロエがいいから、是非アロエを食べさせてあげて。』と、まるで頼むようにおっしゃってくださる方もありました。夫はそれらのことを拒否することなく、自分で納得したことは受け入れ、進んで実行していました。
「おいしくないなー。」と言いながら、毎日アロエを食べたり、ビワの種を食べたりしていました。夫がこの民間療法を積極的に行うようになったのは、国立姫路病院の婦長をしておられたという息子の友人のお母さんからの親切なアドバイスによるものでした。
東京の国立がんセンタ一で研修を受けて来られたというこの方は、私の相談に快く応じてくださり、いろんな助言をくださいました。「いろんな方が、いろんな民間療法を進めてくださるでしょうが」との切り出しで始まった言葉に、私はまず民間療法を否定し、近代医療にのみ頼るよう助言を受けるのかと思いました。でも、違っていたのです。その方はこんなふうに話を続けられました。
「いいと思い、納得出来ることは、何でもなさってください。」私は驚きました。その言葉の意味するものは何なのか、私なりにいろいろ考えを巡らせました。『最後まで希望を捨てずに。』ということだったのかもしれません。夫の病状を伝えた時、助かる見込みのない事は、はっきりとおっしゃいました。でも最後まで望みを持たないといけないのです。しかし夫は高額な民間療法は、頑として受け付けませんでした。
「そんなもの、あやしいー。」の一言で終わりです。
ある時は、家族でまるでピクニックにでも行くような気分で車で出かけ、沢山のビワの葉を取ってきました。それをきれいに洗って、何日もかけて干すのです。干しあがったビワの葉を夫はハサミで切っていきます。丁寧に小さく小さく切っていきます。
「手が痛くなってしもたわー。」と言いながら手を休めては切っていくのです。そしてそれを煎じ、お茶にして冷やして飲んでいました。
普段これといった病気をしたことのない夫は、健康そのものでした。がんにさえならなければ、もっともっと生きられたのです。まだまだやりたいことが沢山あったでしょう。でも、夫は何も言いませんでした。何故あれだけ平静でいられるのだろう。と不思議な気すらしていました。
「僕まだ10年早いと思わないか?」
「何言ってるの。l0年どころか10年も20年も早いよ。」
と返事すると夫は陰りのない穏やかな笑顔を返すのみでした。口惜しさを表した言葉と言えばこれくらいしか思い出せません。家族4人が一緒になって過ごした闘病生活。今思い返すと本当に生きることのすばらしさを夫は身を持って示してくれたのです。いっも控えめで、怒ることもほとんどなかった夫。あの人の中のどこにこんな力が秘められていたのでしょう。
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