● パパらんの贈りもの ●
翌日は、夫の希望で嵯蛾野の落柿舎を訪ね、炎天下を歩きました。疲れはしないかと夫の身を案じたものの、去来の墓を見に行くなどと言って、暑さに疲れて木陰にある床几で休む私と娘を尻目に息子を誘い、夫は元気に落柿舎の裏手に消えて行きました。
夫との最後の家族旅行で、私たちは大きな大きな思い出と、優しさのいっぱい詰まったプレゼントをもらいました。大文字の思い出だけではありません。落柿舎で夫は投句をしていたのです。
私は何度も何度も見つめました。夫からの手紙なのです。私たちが落柿舎を訪ねたのは真夏です。なのに何故梅雨空なのかと言うとそれには訳があります。夫は以前から落柿舎が好きでした。退院したあとの6月に京都に来た時も寄りたかったのです。夫が行きたいだろうということは分かっていたのですが、夫の体の様子を見ていて無理をしてはいけないと思い、誘わなかったのです。この句は、その時に作ったに違いありません。
あのとき心は落柿舎に飛んで行っていたのかもしれません。でも実際は、時間的にも夫の体のことを考えても行くのは無理でした。
そして夫の死後届いたこの便りは、夫から私へのラブレターのように思っています。
落柿舎の帰りに立ち寄ったオルゴ−ル博物館で娘は夫からオルゴールを買ってもらいました。曲はパッへルべルのカノンです。娘は時折父親のことを冗談でパパらんと呼んでおりました。パパらんの最後の娘へのプレゼント。パパらんの心は、オルゴールの音とともにいつも娘の中に生きるでしょう。
京都から帰った後も夫は職場へ出勤しました。しかし8月19日を最後に再び学校の門をくぐることはありませんでした。
自分の体がすでにがんに侵されているのも知らず、毎日毎日を仕事に心血を注ぎ、ついにがんに生命を奪われるまで教師に生きた夫でした。或いは、戦場などに復帰せず、残された命を大切にし、家でゆっくりと過ごしていれぱ、もう少し長く生きられたのかも知れません。でも夫は子供たちの待つ学校へ戻れてよかったのだと思います。30才を過ぎてからの教織の道を選び直した夫です。子供たちの中で夫の姿は輝いていました。
まるで子供と同じでした。職場に復帰したことで、たとえ命が短くなったのだとしても、後悔などしないでしょう。私たちも夫の選んだ生き方を応援したいのです。一緒に生きたのです。後悔はありません。最後まで生きることに希望を持ち、命を輝かせた夫を心から誇りたい気持ちで一杯です。
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