ホスピス
 

● パパらんの贈りもの ●


退院後以来私たち家族は、夫の様子をうかがいながら出来る限り外出の機会を持ちました。しかしそれはいつも夫の体調を見ながらの、ごく近い範囲の外出でした。それでも夫はいつもにこやかに過ごしてくれていました。戸倉峠のそうめん流し。谷の向こうから流れてくるそうめんをおいしそうに食べている夫の姿は、とてもがんなどを抱えている人の姿とは思えませんでした。

 ヨーロッパ旅行を中止した時、せめて近くへの旅行は、と思い京都の大文字の送り火を見に行くことを提案しました。夫も大乗り気でした。早速旅行社に宿の手配を頼みました。そして姫路と京都の間ではありましたが、夫の体を考慮し、新幹線の往復指定席券も購入しました。それでも、だんだん弱っていく夫を案じて、中止しようかと迷い続けました。
でも子供たちはそんな私に、
 「お母さん、中止したらあかん、そんなのお父さんがかわいそうや、絶対大丈夫やから行こう。」と、強く言い続けました。

 結果は子供たちの言った通りで、旅行中の夫は信じられないほど元気でした。それは、残された命を輝かせているようにも見えました。8月16日の朝ゆっくりと姫路を発ち、まず広隆寺を訪ねました。弥勒菩薩の前で夫は何を祈っていたのでしょう?その時夫が買い求めたお守りは、今でも夫の運転していた車のハンドルに下がっています。その後、河原町通りに出て本能寺など訪ね、早めに八坂神社の近くにある宿に着きました。送り火は、その頃娘の住んでいた寮の屋上から見る予定でした。娘の住む寮は下鴨神社の近くに あり、そこに行くには四条から京阪電車に乗って、出町柳まで行き、そこから鴨川沿いに下鴨神社の方に向かって上がって行くのです。遅くとも7時までには宿をたたないと間に合いません。ところがこの旅館は、5時過ぎから夕食を始めたというのに、ゆっくりゆっくり一品ずつ料理を運んでくださるもので、7時を回ってもまだ夕食が終わらないのです。

やむなく最後のデザートは帰ってからにするとお断りして、はやる思いで娘の寮へ向かいました。途中、高野川を渡る際に、橋の上は見物客でいっぱいだったので、川に浮かべてある飛び石づたいに渡ることになりました。対岸に着いたころにはすでに大文字には点火されていました。赤赤と燃える大文字を横目に今度は鴨川の川岸を必死に走りました。
息子は父親を気遣い、
 「お父さーん、大丈夫?ぼく、おんぶするで−。」と叫んでいました。
 やっとの思いで寮にたどり着き、屋上に上がった時は、大文字の火は既にさかりを過ぎていましたが、妙法、船形、そして左大文字は今を盛りと、赤赤と燃えていました。それは見事な眺めで、それに見入る夫の横顔は、とても嬉しそうに輝いていました。

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