● パパらんの贈りもの ●
あるとき私にこう言いまた。
音楽の好きだった夫は、定年退職後私と二人で、ドイツ・オーストリアを旅行することを夢見ていました。退院を前にして私は主治医にそのことを話し、海外旅行の可能性について尋ねました。医師は旅行は可能だと言ってくれました。ただしなるべく早い方がよいとも言われました。いくら早く行きたいといっても、夫は病気休暇中であり、子供たちも学期の途中にありました。そして私は渋る夫を説得して、夏休みに入ってからということで、やっと承諾してもらい、家族4人でのウィ一ンへの音楽旅行を計画したのです。学校 へも無理を言って許可していただきました。でも結果は、夢に終わってしまいました。申し込みも済み、お金も収めた頃から夫のがんが成長しはじめたのです。それまで痛みを訴えることなどなかったのですが、痛みを感じ始めたのです。初めこそ海外旅行を渋っていた夫がウィーンへの夢を持ち始めたころ、それをあきらめなければならなくなったのです。外出のたびに夫は、旅行社の前に立ち止まり、ヨーロッパのパンフレットを手にするのです。口にこそ出しませんがきっと行きたくて仕方なかったのだと思います。もう少し、もうあと半月早けれぱ行けていたのにと悔しくてたまらない思いをしました。
この頃から、痛みのため夜中に病院へ走ることがでてきました。鎮痛剤を必要とするようになったのです。それでも始めはごく一般的な鎮痛剤と坐薬が処方されました。でもそれもすぐ効かなくなり、ついにMSコンチン(モルヒネ)が投与されるようになりました。
夏休みに入りました。多くの人は教師とはいいものだ、夏休みは子供たちと一緒に長い休みが取れるなどと思っておられるかもしれませんが、本当は大間違いです。教師に休みはないとすら言いたくなるほどの夫の日常でした。夏休み・冬休みはもちろん、土曜日・日曜日もほとんど学校に出かけておりました。教師というもの、しようと思えぱそれだけ多くの仕事があったということなのでしょう。夫が亡くなってから分かったことですが、夫は休みを利用して子供の家庭を回ったりもしていたようです。そしてこの夏休みも病ん だ体をいたわりながらも、夫なりに精一杯頑張ったのだと思います。
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