ホスピス
 

● パパらんの贈りもの ●


 夫は5月の半ぱに退院し、その後職場に復帰するまでの約1ヶ月間を自宅で過ごしました。入院中は私の役目となっていた犬の散歩にも行くようになりました。私は何度か犬を連れて歩く夫の後ろをついて行きました。体重が15キロほどの中型犬です。引っ張られればかなりの力が加わります。夫は網を体に巻き付け、急に引っ張られても体全体で受け止められる様にして散歩していました。
 6月上旬、出勤日を間近に控えたある日曜日の事です。夫の仕事への体慣らしという意味もこめ、夫の運転する車で京都へと向かったのです。そして御所の近くに車を置いて、娘と落ち合い、京都市内でゆっくりと時を過ごしたのです。昼食は南禅寺の近くにある郵政省の保養所でいただきました。ゆっくりと時を過ごそうと、お部屋を頼んでおきました。池の中に堂を配した広い日本庭園を眺めながらの楽しい昼食のひとときでした。小さな雨が静かに降っていました。
 自分の病気ががんであること。そして生命にも限りがあることを知ってからも、夫は決して弱音をはきませんでした。いつもいつも笑顔を絶やすことなく過ごしていました。

 あれは、6月13日の事でした。退院後CT検査を受け、その検査結果を聞きに行った時のことです。名前を呼ばれ一緒に診察室の中に入ると、医師の机の前の蛍光灯の光で浮き上がる、夫の肝臓を写したCTフィルムが目に入りました。一瞬ドキッとし、夫の顔を振り向くと、ただ笑顔だけなのです。いくら真実を知っているとはいえ、私にはつらいことでした。フィルムに赤くチェックされたがんの影は本当に肝職全体に広がっていました。大きいのから、小さいのまで無数とも思える程でした。告知の後にはこんなこともあるのです。私は医師の前でどんなことを聞いたのか思い出せません。また、フィルムを見せることがいいことか悪いことかも分かりません。ただやはり告知を受けた患者ということで、耐えなければならないこと、受容しなければならないことなのでしょう。感情を表すこともなく、笑顔で医師の説明を聞く夫の心をくみ取ることは出来ませんでした。帰宅後も互いにそのことに触れることなく翌朝を迎えた時のことです。

  「玉ちゃん、あの柄、豹の柄みたいやと思わへんか?」
突然、まるでひと事のようにいうのです。自分の肝臓の中に点々と巣くうようにして写し出されていたがんの影を平然とこのように言い表す夫の心を思うと、
  「お父さんは強いわね−。私どう考えていいのかわからへんかったのに。」と答ながらも、計り知れない夫の心に何と言っていいかわかりませんでした。
  『僕もあんなにひどいと思わなかった。」と言う夫のその心をくみとろうにもそうは出来ませんでした。夫はできる限りの思いやりの心で、自分の置かれた現状に耐えていたのでしょう。家の中で日中一人でいる夫の事を思うと、このときばかりは少しでも早く自宅に帰ることに努めました。

 やがて夫は6月の半ぱから職場に復帰しました。既に職場の同僚の何人かは、夫の病状をご存じでした。皆に快く迎えられての職場復帰でしたが、口には出さないものの、自分の体が思うように動かないことに悩んでいた様子でした。新学期早々から長期間休んだのです。当然クラス担任からは外されていました。子供が大好きで子供の中に生きていた夫にとってこの事はかなり辛かったようでした。それまで自分の仕事だったことも他の先生がされており、干された気分になることもあったようです。でも努めて明るく振る舞って くれていました。夫にしても負けてなるかという必死の思いのスタートだったのでしよう。

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