● 事実を闇に埋没させてはならない ●
50年以上たった今も、私には、京都大学の小笠原先生の外来の粗末な軒ぱたで、患者さんが不安げに首巻きに顔をかくし、背を丸めて、暗い夜のとばりがおりてくるのをじーっと待っておられた悲しい姿が目に浮かぶ。
それでは、もしそれを認めるとしても、第二次大戦が終わり、戦前の旧帝国憲法に代わる「新憲法」によって、「基本的人権」と「民主主義」をうたう新しい人権尊重の時代に変わった正にそのとき、患者さんの人権を侵害してきた第二次大戦前の「らい予防法」を関係者当局者はいったいどのように見直しをしたというのか。
全国療養所患者協議会すなわち全患協の激しい解放要求の抗議行動が行われたのにかかわらず、1953年(昭和28年)のらい予防法改正は、旧法の隔離体系と殆ど変わることがなく、僅かな修正のほかには文語体を口語体に改めただけで済ませてしまい、それからそのまま1996年(平成8年)まで43年の間放置してきたのだ。なにもしなかった専門の医学関係者・官僚の直接的な責任は明らかだが、その他の政治・法律家・マスコミなど社会においてもなんの責任もなかったといえるのだろうか。
私自身当局者の一員であったから、他人を責める資格などないどころか、自分自身に責任がある。そして思うのは、少数者の人権を侵害されていることについて各時代各分野でそれぞれの事実をもっと究明して責任の所在を明らかにし、二度と同じ過ちを繰り返さないように誓うことが、これからの日本の社会において真に基本的人権と民主主義を確立するために必要であるということだ。
「らい予防法」の廃止がようやくなって2年が過ぎた。廃止の日を待つことなく、また廃止がやってくることを知らないまま、89年に及ぶ隔離の間に万人をこえる人々が、絶望と偽名のまま親しき家族縁者に看取られることもなく世を去られた。その人々の無念の思いは深いはずだが、なにも語ることなく消えさ去られた。そのことを私たちはこの際もう一度思い返すべきだ。
また、今なお療養所に在園させられてきた人々が、廃止法により法律的には自由になられたが、社会に出たいと希望されても、現実の問題として不可能だ。
社会で自由に生きていかれるためにはそれらを阻むあまりにも多くの障害が横たわっている。平均年齢は70歳を越えてしまい、隔離生活数十年にも及ぶ方々が、この厳しい荒波の時代に社会に出ていってどのように幸せに生きていけるという保証があるのか。おそらく殆ど不可能であろう。
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本文は朝日新聞大阪厚生文化事業団編集による「遥けくも遠く」
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