社会環境
 

● 事実を闇に埋没させてはならない ●


 親子、夫婦の縁切り、家族との離別、村八分、一家離散、本名の喪失、自殺など、この聞き書きからもうかがえるように、人生のあらゆる悲惨がすべてのハンセン病患者さんにふりかかっていたが、これらは、「らい予防法」の施行という行き過ぎた国家の行為によつて人工的に引き起こされたものだ。そして今、社会に復活、再生してもらうといってもそれが殆ど不可能な状態になってしまっている。

 一人ひとりの人々の生涯に取り返しのつかないダメージを与えてきて、今その残された長くない人生に新しい希望を見出だせるだけの何かを再び与えることができるのだろうか。いや、なかなか難しいと思うにつけ、私たち関係者はその責任の重さに今さらのように暗然とせざるを得ない。
 このことを広く国民の皆さんに知ってもらい、かつての国家社会の責任を認識してもらいたい。一人ひとりが負わされてこられた苦難の実態を国民の皆さんに分かってもらい、その責任の所在について考えてもらいたい。

 先に私はそのことを考え、1989年(平成元年)にハンセン病患者さんの苦難の事実を示す資料を収集し一般に公開するためのハンセン病資料館建設を計画し、全患協、多摩患者自治会をはじめ全国の患者さん方とともに1993年(平成5年)に高松宮記念ハンセン病資料館として完成し、またその趣旨を伝える「現代のスティグマーハンセン病・精神病・エイズ・難病の艱難」(勁草書房)という著書も同年に公けにした。資料館がハンセン病問題の隠された実態を世に問い、「らい予防法」廃止に果たした役割は手前みそになるが大きかったと思う。

 もちろんそれまでにも、少ないけれども、一部の患者さん、一部の篤志家の手によって優れたドキュメントが出されていた。ことに1996年のらい予防法廃止後は患者さんの自伝手記が出版されるようになって注目されるようになってきた。

 現在約5200人の人々が全国の療養所に在園しておられるが、目の見えない人、手足の不自由な人、なによりも高齢化が進んでしまっている。自らを語り、筆をとる人はやはり少ない。そこに積極的な聞き書きが行われなければならない必要性がある。  藤楓協会ではハンセン病資料館建設計画を始めると同時に聞き書きの重要性を考え、資料館に収蔵することも考えながら、全国自治会が聞き書きをされる支援を行ってきた。

 歴史を風化させないために、あの戦争のさなか、あるいは戦後の復興期の中で、さらには経済成長だ、繁栄だと浮かれ騒がれたついこの間まで、社会から一方的に疎外され、社会の底辺に無理に押し込まれ、はいずり回された在園の人々が、今淡々と語られるその声に耳を傾け、その声の背後にある長い年月のこ艱難の事実を直視し、国家社会が、権カが、その他が犯した責任について問いつめ考えよう。

 このつらいプロセスを経過しないで、その反省のプロセスなく済ませてしまっては、真に民主化された「よき」社会はこの日本にやってこない。  通りいっぺんの謝罪の文言を読み上げただけですべて終わりとしてしまってはならない。

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本文は朝日新聞大阪厚生文化事業団編集による「遥けくも遠く」
-ハンセン病療養所在園者の聞き書き集-より、抜粋、掲載させて頂いております。

(本文の無断掲載ならびに転写は、お差し控え下さいますよう、お願い申し上げます。)


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