7月27日 火曜日 快晴
昨晩は10時過ぎに眠り、本日は3時30分に目覚める。相変らず4−5時間の睡眠だが寝覚めはよい。早速携帯で日本に電話する。つながりはあまりよくない。今日はインド人の民芸店を早々に訪問した後10時に出発して大使館に表敬訪問する。浅見眞大使にお会いいただけるとのこと、IMCUの更なる支援を依頼する予定。その後JICAを訪れた後クリニックでセレモニーを予定している。会食後に戻って、夕食は"故里"なる日本食店でこちらの日本人を招待する。それらの詳細は以下に記載する。
8:30 Raja's Souvenirs Ltdに出かける。
Mr. Anuj Shahと奥さんは元気だが相変らず商売熱心である。インターコンチネンタルホテルでの賃貸料が1.5倍になったので外に出たとのこと。今回はワニがあったので小児用に買ってみることにする。細かいのはまとめて買うようオーダーする。高いのはネゴの結果による。医真会の男性に人気がある、"Tusker(タスカ)Tシャツ"は5枚ずつオーダー。
9:30 大使館に行く前にクリニックによる。
ケニヤとしては瀟洒な建物で受け付け、待合、 診察室、検査室、薬局、点滴室などよく整備され、表示も大きくきれいである。小生の写真がかけられておりいささか面映い。日本にはこういう風習はなく戸惑う。まぁ、郷に入れば郷に従いと行くことにする。
11:00 大使館を訪れる。
厳重な警戒の玄関を通って、ビルの15階にある。宮田君は受付嬢(年配の)、NGO担当の三等書記官 佐藤知咲氏(約30歳前後の女性)、警備主任 野田雅彰氏(警察庁派遣)、二等書記官、自衛隊大尉 岡林大介氏らと親しくすぐに入館できた。二重の防弾扉で外国の厳しさを知らされる。浅見眞大使は細身の気さくな方である。浅見というお名前で思わず旅行中によく読む内田康夫の小説を連想して苦笑いしそうになる。テロ情報の確保に各方面に手配しておられ、米国、英国、イスラエルのエージェントからの情報以外に独自の情報網を設定しておられるようであり、そのご苦労のほどお察しする。Try
& Errorのきく日常的支援活動とは異なり、テロは起こってしまえば当然被害者が発生するし、日本人に被害者が出れば大使館の責任は重く気を使っておられる。小生としてはただ今この地に存在するのはあくまでも個々の日本人の自己責任によるもので、恣意的なテロに外務省の一義的責任は問われる必要はないと思っている。勿論事前情報の確保に努めていただけるのはありがたいが。大使も単身赴任とのことで大晦日には宮田君ら帰国しない若者をご自宅に招待していただいたそうで感謝する。
大使館もJICAとともにNGOとの協力関係を深め、支援の実態を広げまた深めるように変わってきたとおっしゃっていたのには隔世の感がある。青木大使以来よりこまめに支援活動を行っておられるようであり、道理で宮田君にも親しく接していただいていると理解した。
12:00 大使館を辞した後、JICAに向かう。
JICAでは次長の仁田知樹氏とNGO担当の見宮美早氏とお会いし、JICAの方針をお伺いした。仁田氏は3ヶ月で離任されるそうだが、NGOとの共同作業に積極的である。JICAはKenya
Medical Research Institute KEMRIを通じて、HIV、肝炎他の疾患を対象として疫学的な研究も含めてやってこられている。ただ独立行政法人になったとはいえJICAは各省庁からの出向によるフレ−ムを中心とした運営とODAを母体とする支援活動という公的性格を持っている。そのためにフィールドとしての、例えばAMDAのVCTセンターなどのスラムに入って診療活動、IMCUケニアの貧困層(それほどの貧困者でもない患者が結構いる−医療費額150シリングと安くかつ医師の診療が良いため)に対する日常的医療の提供などとの共同活動がなければ一面的になるきらいがある。そのことに気づいておられるために積極的にNGOとの接点と支援を行うようになってきていると聞き力強く感じ、今後の協力をお願いした。見宮氏からは「日本での拠点が確立し、運営が妥当と評価されるNGOに対する3000万円規模の自由裁量が大きく広げられた支援」の存在と応募をお勧めいただき、何とか対処したいと思っている。JICAもNGONG
Hillの一角にあり、瀟洒なビルの最上階、11階の高さから見るとナイロビ国立公園が眼下にあり、すばらしい眺望である。
13:00 JICAからIMCUクリニックでの昼食会に移動する。
クリニックは二階建てで解放的であり、きれいに整頓され、案内表示も完備している。患者が多いようで新聞やテレビ、DVDによる視聴覚医療情報提供などサービスも行き届いている。宮田君から改めて職員の写真と職務をまとめてもらうが受付に2−3人、看護師は殆ど助産師、カウンセラーを持っているようで優秀である。実際の日常活動を聞いてもすばらしい。梶田和子さんによれば日本の看護師より多面的でより学術的な能力が高く、活動も多岐にわたっており賞賛しておられた。8月末でIMCUケニアのボランティアを終えられ、帰国された際には是非医真会グループでの講演をお願いしたいと考えている。日常的に患者がお世話になっているケニヤッタ国立病院の看護部長、患児の診療をIMCUケニアに依頼されている小学校の校長など協力者の方々と一緒に小セレモニーを行う。何とか英語で挨拶できたが、花束を頂き感激した。近所のケニヤ人用のホテルからパーティー食をまかないつきでデリバリーしていただきよばれた。スピナッシュ、野菜の酢味サラダ、チキン、牛、ティラピアなどの料理はアフリカン風で結構おいしい。イスラム教の店にてビール、豚肉がないのがいささかさびしいがガマンガマン。
クリニックのメンバーには出来れば日本に1ヶ月ほどきて交流を深めるチャンスを提示したいと話す。
16:00 その後いったんホテルに戻り、バスタブに湯をためて生き返る。
夜は大使館、JICA、SCCの菊本さん、久保田さんらの日本人の方々との会食までのんびりしようと思ったが、Stevenが市内観光から戻ってきたのでプールサイドで歓談する。今回のクルーは辻井先生と小生以外は実にこまめにナイロビを見学しまわっているようで、博物館、蛇動物園、ジラフセンター、スーパーマーケット、民芸品店などをこなしている。
19:00 お世話になっている日本人の方々との夕食会を「故郷」レストランで開催する。
ここは恐らく韓国のヒトが開いている日本食レストランである。てんぷら、すし、刺身などを皆さんエンジョイしていただけたようである。菊本さんは5kgほど減量されたようだがお元気で、久保田さんも全くお変わりない。こちらではヒトは自然環境が良いのかいつまでもお若い。明日、マトマイニを見学するのでそのときにお話したく、今日は他のメンバーと交流していただく。宮田君はその解放的でかつ真摯な日常的な付き合いのためにみんなの人気者であり、特に若い女性には結構もてているようである。彼のような人柄は国際支援には必須でもある。JICAの医療専門家としてKEMRIにおられ、契約終了後もこちらに残ってボランティアとして活動しておられるKazuko
Kumon医師と歓談した。大学の講座を飛び出し、コスモポリタン医師としての活動から今後の方針を模索しておられる様子で接点があれば医真会で仕事をされるのも良いのではと思うが。辻井先生は久しぶりの焼酎を楽しんでおられた。
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