ケニヤ紀行 2004/7/25‐8/4

 

7月28日 水曜日 快晴

4:30 起床 5時間睡眠は少し疲れていたためか、寝覚め良し。
  ラジオ体操後にシャワーをかぶり、携帯で日本に報告した後、紀行を書く。

7:00 食堂にて Mr. Okkidiと朝食を摂る。
 Stevenも同席し、「9月22日〜10月4日まで東京で日本観光協会の会合に出た後日本を旅する」といううれしい予定を伺う。新幹線に乗って大阪に来たいとのこと歓迎する旨伝える。TEKKOのオフィスは新しいところに移っていて朝の散歩がてら見学する。二人の新しい日本人女性のガイドが入職したとのこと。
織田裕二の番組をTEKKOがアシストしたそうで、プライベートな写真を見せてもらう。 昨年はツーリストが激減して大損害だったそうだが、今年は回復しているのでホットしているようであった。早朝の街中は既に仕事が始まっており忙しげに行き交う。道路の表面もよく整備されておりでこぼこ道は解消している。排気ガスだけは相変らずでStevenは肺癌で死にそうなんてぼやいているが本当に臭くってつらい。これで日本のように温度、湿度が高ければ家を出ることがイヤになるだろう。松本先生は昨晩隣のカジノに行かれ、ルーレットで20000シリング勝たれたそうである。カードは必ず負けるそうで、ルーレットはプロに等しいプレー法をご存知で負けないそうである。小生のように博才のない者には感服する以外にない。辻井先生はお休みになられる予定があまりに気分がよろしいとのことで今日もご一緒していただく。

8:30 キベラのAMDA主宰の「VCTセンター:Voluntary Counseling and Testing Center」を訪問する。
 以前訪問していたKicoshepとはそれほど離れていない場所だが、車ではグルッと大回りで例によってがたがた道をのろのろと走る。スラムの中は全くといってよいほど変わらず、ひどい状態であるが水は幾つかの供給場所に行けば建前では20L=20シリングで手に入る(誰も払わないとのこと。中間業者のみ儲けているという)ので改善といえば改善である。VCTの活動は「カウンセリングでHIV感染に対する理解と検査によって陽性が出た場合の対応」も慎重に行われているが、CD4のチェックや治療は紹介に努めている。住民はパニックになる人もいてカウンセラーは腹いせ的攻撃−Rapeもある−などの危険も伴う。徳岡さんは姫路の出身で甲南大学を出ておられるが、実に沈着冷静で感服する。こういう所に来ると少数派の素敵な信念をもった日本人の若者に出会い幸せに感じる。HIVが陽性でも"栄養の確保"、"感染を避ける"、"性交の禁止−もしも行うならば両者合意で正確にコンドームを使用−"でもって実際の発症は遅らせうるので悲観しないように力付けている。

10:30 マトマイニ孤児院を訪問する。
 Nairobiからショートカットで例の川を渡って到着する。門から院内もKenya Central Bank: KCBの支援で緑色のペンキを塗りきれいになっている。内部は相変らずきれいに整頓されている。17年間、丁度宝塚の生徒のような上は下の面倒を良く見る習慣が確立しておりすばらしい。子供たちは学校に行っているので静かである。農園は"商売になる野菜作り"を確立しつつあり、浅見大使もここから野菜を仕入れているとおっしゃっていたことを思い出す。休耕田もあり計画的な農業である。地域にそのノウハウを教えるWorkshopも行われ、ゲスト用のログハウスありと"孤児"という名の子供とその両親(片親が多い)の自立を確保するための戦略を進めている。17年でここまで来られたわけでその努力はどういう風に表現したらいいのか言葉がない。20周年には日本からの支援脱出と自立を目指してセレモニーを行われるとのことで出来ることなら妻とともに参加したいと思う。和田さんという28歳の男性がボランティアとして農業を管理しておられた。神奈川県横須賀出身で日本では農作業とは無縁だったそうだが、付加価値の高い植物−きのこ類=しいたけ、グアバ茶、桑、ゴマのような栄養価の高いアマランサス 仙人穀(ケニヤ政府も推奨)などを生産して収入を増やすように努めておられた。野菜は全て有機栽培で安全である。マトマイニの製品も品質改良が進み、たとえばダムにはびこる"ホテイアオイ"という水草をスラムのお母さんたちに収穫させ、乾燥して編み上げるとこれがなかなかのもので、バッグ、トイレットペーパーケースなどに成型されていた。より購買意欲をかき立てる製品が増え、IMCUも購入し日本での宣伝に寄与する。小生が以前から最年少で弱弱しく心配だったクーリアはいまや兄貴格になり元気とのこと。皆学校に行っていて会えなかったが成長が順調でうれしい。製品の販売はSCCのナイロビ事務所で行うようになっている。8月2日に宮田君が整えておいてくれる段取りになっている。Souvenirは同じ日にRajaの店で購入予定である。

12:30 皆さんをカーニバルレストランへ昼食にお連れした。

 今回はワニ、オストリッチ、トムソンガゼル(小鹿)の肉団子が目玉である。梶田さんはダチョウが好みでお替りされ、辻井先生はワニがお好きとのこと。小生は、ワニは遠慮した以外は全部"ウエルダン、キドゴ"にしたがそれでもおなかが膨れる。従業員も代わっておらずよく覚えている。それにしてもよくはやっているのには驚かされる。日本人も多く、東京医科大学の小児科の望月先生という方が単身で旅をされており、明日泊まる"The Ark"でもお会いできるとのことで歓談を予定している。先生はナクールで一泊されるそうである。小生のHPをご友人のナイロビ滞在歯科医がご覧になっておられその方の紹介も受けておられる。

1:30 IMCUクリニック経由でMitumba(ミツンバ)スラムを訪れる。
 Wilson空港の近くで8000人ほどのヒトが住んでいる。Mr.John Maina (Mitumba Primary School校長 P.O. Box30214, Nairobi, Kenya)にお会いした。小生より少し若い方で、なんとしても子供たちに教育を受けさせ、上級学校に入れたいと努めておられるようで頭が下がる。子供たちにサッカーボール、ユニフォーム、靴を贈ると歓声が沸いた。ご寄付いただいた吉田さん、藤田さんに寄せ書きなどを贈るように依頼する。小さなスラムは支援も少なく、トイレが未整備なので、黒いビニール袋に入れて捨ててあり、それを踏もうものなら一大事になる。以前に若い女性のツーリストが被害にあったそうである。クリニックのReceptionist 受け付け嬢のLucyはここに住んでいる。彼女の母はHIV陽性で、恐らくAidsを発症しており、本日病院から退院してきたとのことである。もう一軒の女性は7人の母で1人は死亡し、その子の子供=孫も面倒みているそうだが彼女も陽性である。易疲労感、筋肉・神経痛などがあるも3種類の薬を内服中である。以前旱魃で多くの餓死者を出したモンバサ近くからNairobiへ逃げ出して来ている。亭主も何とか働けるし、スラムとはいえ住む家もあるのでこちらのほうが良いそうである。ちなみにクリニックにはもう1人の受け付け嬢でRwandaからの亡命者 Graceがいる。宮田君によれば大変聡明で仕事もとことんやるのでケニヤ人のように時間で帰ることはしないそうである。フランス語、英語、スワヒリ語、ルワンダ語が話せる。LucyもGraceも患者だったのが能力を買われて採用されている。
二人にはOkkidiさんが9月から始める「日本語会話の3ヶ月コース」に入ってもらうように小生が援助することにした。受け付け嬢は、日本でも大変重要な仕事だがこちらでは正確な患者情報と笑顔によって患者のリラックスを得るために重要視されている。 看護師は殆ど助産師の資格とともに、カウンセラーの教育も受けていて"患者への対応"が論理的である。医真会の看護師にもそういう研修を受けるコースを設けたいものである。 梶田さんとも意見が一致する。彼女はもっと厳しくて「日本の看護師はいろんな面で劣っているので何とかしなければ」と指摘された。
マトマイニの最優等生であるマーガレット・ジェリーはKMTCというケニヤ国立看護短大を今年卒業するとのことだが、この学校は難関中の難関校で卒業者は未来が開けるがその修得する内容は大変学術的であり高いとのことである。ことほど左様に教育の実態が日本の建前主義とは大いに異なる。丁度日本の明治から昭和初期に見られた向上心と実力を養成することに国家を挙げて取り組んでいる様子が明らかであり、我々もその意味では初心に帰る必要があることを教えられる。

19:30 初めての方々は"リフトバレー"とそこでの日没を見に出かけられ、お帰りを待って夕食をご一緒する。
 LucyとGraceが参加、Lucyははじめおずおずしており、小生がついてビュッヘをまわらないと動かなかったがすぐに慣れ、ケーキや果物もたくさん食べるようになる。Okkidiさんのコースへの参加を支援するというと本当にうれしそうである。日本語がしゃべれれば道は大きく広がる。 明日はサファリへ発つので早い目に皆さん引き上げられる。

 
-3-

[ INDEX ][ BACK ][ NEXT ]


[ TOPICS ] [ NEWS ] [ 医療裁判報告 ] [ INFO ] [ HOME ]