ケニヤ・タンザニヤ紀行


●2002 7・29 晴れ

 早朝に起き、日の出を見に行く。残念ながら雲が地平線にあり、きれいな日の出は見られなかった。
 バルーンサファリ希望者は6時ごろにホテルをでて太陽が昇るとすぐに上がる。朝食時に丁度ロッジの前に現れた。セスナ機で同様の空からのサファリを経験することになる。みんなは7:30にLake Manyalaへ向けて出発する。どう考えても夜遅くの到着になるのではと気にかかる。元気でナイロビで会いましょう。

11時過ぎにロッジから1kmほどのところにある飛行場所に向かう。飛行場とは言えず、吹流しが一本あるだけの草原である。単発の飛行機が次々と飛来し、主として米国、ドイツの若者が次々と乗ってゆく。有加里さんはだんだん心配になってきたようで、簡易トイレに走る。予定より30分遅れで双発のセスナが到着した。中も殺風景というか、古いというかおんぼろの飛行機でアルーシャ経由キリマンジャロ国際空港を目指す。有加里さん緊張しまくり。

上空からの視界も良好で、タンザニアを満喫する。アルーシャの近くにあるMt.Meruは上空から見ると形のよい死火山で改めて見直す。キリマンジャロは例によって雲がかかっていて裾野しか見えない。マサイが定住し始めていると聞いていたが、上空から見ると独特の円形のヤードの中にこれもまた円形の屋根を持つ小屋を建てて住んでいるのがよくわかる。有加里さんは大いに興味をそそられたよう。アルーシャでポールさんが飛行機代の支払いのためにクレジットカード用の器械を持って飛行機まで来てくれる。いやはや便利なものだ。もっともテロ以降、VISAは受け付けるが、米国のクレジットカードは使えない。

キリマンジャロ国際空港はKLMなども入っているようで、まさに国際空港である。Kenya Airに乗り換えて、1時間遅れで出発し、一路ナイロビ、Wilson空港に向かう。この飛行機はゆったりしていてすぐには墜落しそうにはない。45分の飛行で着いたが、到着間じかにキベラスラムが左手にあり、その規模の大きさに有加里さんは改めて感心していた。マイケルが迎えに来てくれていて、スムースにIntercontinental Hotel に到着した。ホテルではパンバ先生とクリスが待っていてくれ、早速会合に入る。

当方の主張:大変残念ながらケニヤのNGO、IFCHCOは組織としての活動を行っているようには見えない。活動の月報もなく、これではNPO, IMCUとしても会員や大阪府に報告の仕様がないし、信頼が得られず、困っている。自動車にしてもオークションにかけられそうになるまでほったらかしにしていたのは全く遺憾である。パンバ先生以下の子供たちを支援する情熱が疑わしくなる。それでも我々はケニヤの子供たちへの支援は続けたく思っている。今後はNPOがオフィスを出して、直接事業を行うようにする。そのためには自動車をNPOに戻す文章を明日帰国する前にいただきたい。個人的な支出についてはレシートをチェックして必要なら返金する。今夜の夕食に招待する。
パンバ先生:承知したが、自分の払ったお金は返して欲しい。

結局彼は夕食には現れず、マイケル、クリス、有加里さんで摂る。陸路の連中は未だナイロビから程遠く、到着は予測したとおり、9時を超えることになる。9:30にやっと到着した。遅い夕食をあわただしく摂って休んでもらう。途中で豹が車の上に乗ってきたそうで怪我がなくよかった。珍しい経験である。サファリは何が起こるかわからない。明日は夕方の出発まで時間があり、日本食レストランで昼食をとり、買い物も出来るので余裕がある。

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