『第7回ホスピス症例検討会』より
【在宅で療養が長期になった症例】
症 例:70才(死亡時)女性、主婦
病 名:子宮体部がん
家族構成:本人、長女夫婦、孫2人の5人。次女、三女は別居。長女は看護学生。
同居はしているが家族はお互い干渉しない。
【病歴要約】
H6. 9.28−不正性器出血に気づき某病院産婦人科受診し、10月3日入院。膀胱、
両側の卵巣、膣上部に転移があり、進行がんで手術適応なし。
本人にもがんであることを説明。放射線治療が開始された。
10月20日より腸閉塞症状出現し、嘔吐を繰り返すようになった。
10.27−「あと数日の生命だろう、腸閉塞のために今日にも命があぶない」との
説明を受け、家族は「死んでもいいから、一度は家で過ごさせたい」
と相談し退院となる。退院後の訪問診療目的で、だいとう循環器
クリニックに紹介。退院時には著明な血圧低下があった。
10.28−ショック状態なく、経口的にジュースが飲めた。便は洗腸で少量あり。
10.29−排便あり。下腹部痛あったため、アンペック坐剤(塩酸モルヒネ坐剤)
開始。その後毎日排便・排ガスあり。長女さんは休学して介護をする決意。
11. 3−腹部緊満感消失し経口摂取が可能となった。その後状態は次第に安定。
11.26−実家までドライブ。家族「あの、退院時のドタバタ劇は一体何だったのか」。
12. 6−長女が付き添ってトイレに歩行可能。20日独力で入浴可能。
H7.1.1−おもちを3個食べ、おとそも飲んだ。
3.24−一泊旅行で城之崎へ。4月3日畑で種まきをした。
6. 6−潮干狩りに出かけた。
6.20−腹満消失、下腹部に腫瘤を触れる。
「7人兄弟の中で、私一人ががんになってしもた。」
9.12 −腹鳴頻発し、時に金属音あり(軽い通過障害再燃)。
9.26−断続的に嘔気あり。家族「本人は、快方に向かっていると思っている」。
10.13−一日中嘔気があり、ほとんどベッド上での生活。
10.31−上腹部の痛みが時に出現。「もう、あかんようになってきた」。
11.28−嘔吐持続していたが、一人でバスに乗って買い物に出かけた。
12. 5−終日うとうと。
「このまま死ねたら楽だ、何もする事も、考えることもない」。
12.12−ラーメン半分くらい食べた。
長女が食べられないことが心配で点滴希望。
12.19−メロン、柿少々。「皆に迷惑かけてしもうて、入院しようか」
「点滴、しばらく続けてみたい」。
12.24−呼びかけにもうろう。親戚の見舞い多い。
12.25−点滴中止。リンゴ、お茶摂取。意識は明瞭
12.26−発熱38度。12月29日呼名に反応なし。
12月30日永眠される。
【検討事項】
(A)長期在宅療養における問題
1)長女のあせり。「こんなに長引くとは思わなかった」。
復学へのあせり。(平成7年10月頃より)来期には必ず復学すると決断。
経済的な問題。長女は仕事をしていたが、介護のため収入が減少。
2)患者本人も疾患が長引くと家族に遠慮が出てきた。
3)ADLが広がったのは、患者が動くことに対して積極的。
(B)患者の病識に関する問題
1)再発増悪の時期が必ず来ることを、どう患者に理解してもらうか。症状安定期に患者は
病気が良くなったと思っている。
看護婦はそれなりのことをほのめかしたが、患者が感じていない。
2)患者は、主治医とはあまり話しをしない。言葉があまり出てこない。
患者は我慢強い性格。医療者サイドからの問いかけや説明がもっとあったらよかったの
では。
(C)患者の家族に対する理解・援助
1)最期を迎えた後、長女より「母はもっと積極的な治療を受けたかった」との言葉があり。
それに対して医療者は、在宅でこのままが一番良いという勝手な思いこみがあった。
2)家族は「一生懸命看なければ」とはと思うが、まわりがどんどん変化し、大変だった。
特に、時に来る家族が、「何かできるのでは」という思いに対しての対応が大変だった。
看護婦の役割:患者さんの言葉で、家族を納得させる。
在宅が可能となる条件は、患者本人と家族の希望が重要。
だいとうクリニックの場合再入院を希望するのは患者自身。介護者からの希望は少ない。
|