ホスピス
 

● パパらんの贈りもの ●


 夫が旅立ってから、やがて1年を迎えようとしています。普段気づくことなく過ごしてきましたが、振り返ってみるとこの1年に実に多くのものを学びました。悲しみだけでない沢山の経験をしたのです。
 それは何よりもまず、人は一人で生きているのではない、人々の中にあって、人々に支えられ、互いに助け合いながら生きているのだと強く感じたことです。
 また私は、言葉の持つすばらしい、いやしの力も体験しました。夫は本当にいつも笑顔でした。私たちはその笑顔に支えられて夫と共に闘病したのです。こんな中にあってある時、常に私を助けていて下さったD医師に電話した時、私は、
「私は、夫の笑顔で救われています。」と言ったことがありました。その時の医師からの返事は、
「いや―、救われるのはご家族の方だけじゃありませんよ。ご主人のあの笑顔には、僕たち医者も救われますよ。」とおっしゃいました。
 何でもないようでいて心のこもったその―言は私にとって、どんなに大きな力となったことでしょう。本当に支えられて生きているということを実感しました。

 また、夫は自分の命の代わりに、私が生きて行く道を見つけるきっかけを作ってくれたのです。D医師は、在宅医療や老人福祉に強い夢を持たれ実践しておられる方でした。たくましい体、鋭い日を持たれながらも、いつも相手の話を聞こうとする受け身の優しい目に変わるのです。夫の死後もD医師との交流は続いています。いえ、続いたというより私にD医師を紹介してくれた友人が引っ張り出してくれると言った方が適切かも知れません。夫の四十九日の法要も終え、私なりに夫なき後の自分のこれからの目標を求めていたころ、この友人がD医師と共に実践している痴呆性老人のためのグル一プホームを作ろうという市民運動への参加を誘いかけてくれました。子供たちはやがてそれぞれ成長し、自分たちの道をみつけ、私のもとから巣立っていきます。そこから始まる私の新しい人生があるのです。子供たちが社会に歩み出す頃、私は定年を迎えます。夫に頼り、夫と共に生きる老後を計画していたころは、退職後の私たちの夢を語り合ったりもしました。それが崩れた今となっては夫を心に宿しながらも計画を立て直し、新しい道を見つけなければなりません。私は心の求めるまま、会へ出席するようになりました。そこには、今まで家庭と職揚とを往復するのみで社会の出来事はニュース等で知るしかなかった私の前に新しい社会が広がっていました。これまで知ることのなかった生きざまを目にしたのです。

 それから私は、夫との死別という悲しみを、『いや違う、夫は私の中で生き、力強く私を支えてくれているのだ。よしやるぞ。』という意気込みに変え、まるで夫に肯中をドンと突かれたように歩み始めたのです。
 私たちの前には、がんを含め様々な難病が横たわっています。また、長寿社会へと急速な高齢化が進んでいるこの日本社会にあっては、ただ長寿を手放しで喜んでばかりいられない問題が山積しています。だれもが長寿は喜ばしいものでしょう。しかし、健康は常に約束されたものではありません。たとえ健康を損ね、病んだとしても、人は人としてより良く生きる権利を持っているのです。ですが、現実は経済的・家庭的な問題をも含めこのことはさまざまな課題を含み、高齢化問題はやがて訪れる私たち自身の問題として私たちの前に横たわっています。赤ちゃんがいて、幼児がいて、少年・少女がいて、青年がいて、主婦も含め働く人がいて、そして老人がいる。それらをみんな含めて社会は一つの大きな生き物のようでもあるのだと思います。助け合うことは人のためだけでなく、そうすることによって自分自身が助けられているのだと思うのです。
 また一万では、難病に苦しみながらも、それを受け入れ前向きに力強く生きている方が沢山おられます。それらの方の生きる陰には大勢のボランテイアの方々の力もあるのです。いつ私たちを襲うかも知れない病、私だけは大丈夫だとはとても思えません。他人の問題ではなく、老人問題と同じくこれも私たち白身の問題ではないでしょうか。

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