ホスピス
 

● パパらんの贈りもの ●


 一度目の体験から4年後の1996年、長女は高校を卒業し、1年の浪人生活を経て大学に合格しました。親元を離れ、一人京都での浪人生活を送り念願の大学に合格しただけに喜びもひとしおでした。そこへ驚く知らせが飛び込んで来ました。夫ががんに犯されていたんです。
 この前年の夏休みに夫はまた学校で人間ドックを申し込み、今度は本当に検査を受けていました。その年の秋にもらった結果はさんたんたるものでした。肝臓、心臓、肺、そして便潜血など、実に多くのチェックを受けていました。ただ夫の父親は胃がんで59才で逝ったと言うのに、胃の検査には全くひっかからなかったと言うのも何か不思議な気がしました。

  「早く再検査を受けて」と、何度も何度も迫る私に、
  「学校が忙しいのにそんなことしてられへん。」と夫は全く応じてくれないのです。
  「じゃあ何のための人間ドックよ。」と問う私、
  「あれは行事やから、行かない人もたくさんおるよ。」とさらっと流してしまう始末です。
それでも、あまりにも私がうるさく迫るもので、とうとう根負けしたのか、冬休みに入ってからやっと重い腰を上げ、再検査のため姫路赤十字病院に通い出したのです。

 何しろ大病院のこと、検査はひとつひとつ別々の日に行われます。1月に行われた肝臓の検査で異常が認められ、投薬をうけることになりました。しかしそれ以外は異常なしの診断をもらい、
  「見てみ―、何もなかったやんか。」とばかり勝ち誇ったように言う夫に、
  「何いってるん、まだ便の潜血検査が残ってるよ。」と、私は負けじとその項目をつきつけたものでした。

 病院もこの項目を見落としていたのか、最後にまわされた便潜血についての再検査は、人間ドックで異常が認められてから実に8ヶ月もたって行われたことになるのです。
 3月下旬、再検査を受けに行った夫から電話がありました。大腸のうち、下行結腸の一部分がボールぺンの軸くらいの太さしかなくなっているというのです。べットの空きを待って即入院と言うことになりました。ひょっとするとがんかも知れない、とは思ったものの、がんだったとしても検査で見っかったのだから早期発見だと思い込み、家族のだれもが安心しきって夫の入院準備にかかったのです。
 娘も新しく始まる大学生活に夢をふくらませつつ、夫の入院に付き添ってくれました。

 4月2日入院。入院後すぐ主治医からの説明がありました。
やはり大腸がんでした。このことは夫にもすぐ告げられ、翌朝病院に行った私に夫の方から、「先生から病名聞いてくれた?僕やっぱりがんやったね。」と、さほど深刻な様子を見せず、まるでいたずらっ子が悪さを見つけられたときのように、はにかんだ様子で私に言いました。切れば治ると家族の誰もが思っていました。
 手術前の精密検査の結果で転移などの異常がなければ、手術は10日に行われることになっていました。でもその後すぐ、夫の口から手術が二日延びて12日になるということを聞かされたのです。きっと何か病院側の都合だろうとその不安を打ち消しました。そして6日、主治医の説明を受ける日となりました。まさかひどい知らせを受けるなどとは予想せずに、主治医の案内で私と子供たちは看護婦詰め所の奥にある小部屋へ入りました。主治医は、時には口ごもり、ためらい、詰まるようにしながらも、実に淡々とした口調で、がんが肝臓に転移していることを告げ、肝臓の図を書いて、夫の場合肝臓に転移しているがん病巣の数は目で確認できるだけでも数個に及び、また肝職全体に散っているので、肝臓について手術は不可能であり、余命は6ヶ月と説明してくださったのです。

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