社会環境
 

●「遥けくも遠く」●


「こころ」

 

 その日も、タ方まで釣りをしていました。病室に帰ってきて、捕れたウナギを焼いて食べようとしていたときです。どこからか、「旨そうな匂いだな」 って、低い声が聞こえてくるわけです。よぅんく聞いてみたら隣の方から聞こえるんですね。びっくりしてしまいしたよ。 本当に、そのときには腰を抜かすほど驚いたんです。死人だと思っていたのがしゃべってきたんだから。
 「食べさせてくれ」って言うけんど、私が「やってもいいけど、おれはレプラだよ」と答えた。ほうしたら、「いや、もうおれは明日にも死ぬんだから、大丈夫だ。食いたい」と頼むんです。
 私は、頭と尻尾は自分で食べて、身の方を食べさせたんです。ほうしたら喜んでね、「旨い、うまい」 っちゅうて貧るように食べたんです。「そうか、そ れなら明日からも張り切って釣ってきましょう」って、翌日から私は一生懸命に釣りをしました。張り合いが持てるようになったんです。私なんかの捕ってきた魚を、喜んで食べてくれる人ができたのが嬉 しかったんです。
  それが高橋さんとの出会いでした。
  そのうちに少しんずつ彼は元気になっていきまし た。そして、部屋の境の板を一枚はがしてね、顔を覗かせて、寝ておった彼と毎日話し合ったんです。 長く人と話していなかった私にとっては、地獄で仏 に会った気持ちでしたよ。 高橋さんは元の病棟へ帰された後でも、「命の恩人」というて私の所にしょっちゅう遊びに来てくれました。来る時には、塩や砂糖、味噌やなんか、その当時貴重だったもんをどこからか持ってきて私にくれました。

 だけどね、ある日のことだけど、食糧倉庫の方で 「盗人がでた」と、大騒ぎになったときがあるんです。その次の日からはちっとも彼は私のところに来なくなりました。おそらく、私のことを喜ばせようと思うて、そんなことまでしてくれておったんでしょうね。
 次に高橋さんに会ったのが、その引き揚げ船に乗 る集会所だったのです。一人でおった私のそばへ来 て、元気づけてくれたんです。みんなの見ておる所で、私の煙草をとって自分で吸いながら、「二人で一本の煙草だ。俺が結核だから、いやか」と言うて、心温めてくれたんです。
  ほんに、ものすごくうれしかったよ。
 今でも、そのころの様子は目に浮かびますよ。

 人間というのは、思い出しても独りでに泣かれる ようなことがあるけんども、高橋さんのこととか、 ちょっとした優しさを受けたために何十年経っても 有り難いと思うことがあります。病気になったり、 不幸になったのが決して無駄ではなかったと思いま す。 胸の温まる憩い出は、一つ一つ私のこころの財産 になっています。

 

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本文は朝日新聞大阪厚生文化事業団編集による「遥けくも遠く」
-ハンセン病療養所在園者の聞き書き集-より、抜粋、掲載させて頂いております。

(本文の無断掲載ならびに転写は、お差し控え下さいますよう、お願い申し上げます。)


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