医療裁判とその周辺について
医療過誤が起こると(あるレベル以上の障害を残すあるいは致命的な結果)、それがマスコミを賑わせているような医療側のエラーが一目瞭然なケースはもとより、医師が犯す医療過誤で医学的にエラーであったという事の証明が患者側によって立証されねばならないケースでも、次のような経過をたどって社会的責任を負っている:
一目瞭然なケースでは加害者は書類送検され、何らかの刑事罰に問われる
医療法人など損害賠償保険に加入している医療機関で日本医師会員の場合は自ら有責と認めれば、医師会医事紛争処理委員会に地区医師会会長の承認の元に届け、認められれば示談として損害賠償金が提示され納得されれば終結する。当事者は通常は原職復帰する。(再教育、診療制限等は無い)
無責とすれば、交渉の門戸を閉ざし、弁護士による裁判前提の作業に入る(患者側は証拠保全等、医療側は提訴までは裁判準備)。
国立医療機関などの損害賠償保険に加入していない医療機関は、すぐに裁判になり、原告敗訴の場合は最終的には最高裁まで持ち込まれることが多い。
裁判は一審終了に平均33ヶ月を要し、患者が医師の過誤を医学的に立証するという困難な作業を強いられる
裁判では原告、被告が各々医学的鑑定意見書を提出することが多くなっていて、さらに裁判所からの鑑定も行われることがあり、長期化の原因でもある。
審理中に裁判官は1-3回は交代し、最終的に判決を書く裁判官は証人尋問を経験せず、書類審理による場合が多い。
診療工程設計管理(図)はあくまでも前向き作業であり、個々のステップを着実、正確に行なわれたか否かが日常診療のキーポイントである。医療事故調査会の医学的鑑定もそのような検証法で行われる。
しかし、司法上の診療に関する判定はあくまで結果を重視し、後ろ向き評価を主体としている。尚且つ診療上の力点は医療実践者ではないのでその患者の臨床経過のもっとも大切な情報であるということが認識できないという弱点がある。従ってどうしても専門職の意見を重視することになる。もっとも最近の最高裁の判例で、「その患者に適切な医療処置が適切な時期に行われていれば、少なくとも死亡時点では生存していた可能性が大である」という結論は前向き思考(フィードフォワード発想)に基づいており画期的でもある。
原告側は予め医療過誤か否かを医学的に検証し(提訴前に医療事故調査会に同僚審査による医学的判定を求められ、面談でその方針を確認することが多い)、過誤という客観的認識の上に提訴するが、被告側は例え医学的には過誤かもしれないという可能性があってもあくまでも"被告は無罪・無責"であるという前提で作業を進める。その結果、被告側医学的鑑定は焦点をずらせたり、ひどい場合は医学的常識をゆがめてまでも被告を擁護する内容になることが多い。通常裁判で医療案件を扱うとこのような理不尽な現象が日常的に行われることになる。それが専門性と裁判の相対的閉鎖性の為に世の中に知らされずに来たことが医療被害患者(=実は不特定の国民でもあるが)の悲劇の原因でもある。彼等にとって最早医師はかすかに残っていた信頼、尊敬の対象ではなくなってしまうのも当然である。
ドイツではたとえばノルデライン州では、医師会内に「医療事故監査コミッション」があり裁判所長官であった弁護士が委員長となり、臨床医、病理医とともに医療事故案件の医学的鑑定による検証に当たっている。2000年には1600件の事故案件が持ち込まれ、約35%は医学的に過誤と判定されて損害賠償に回されている。10%は裁定不合意で裁判にもちこまれている。
ドイツでは、医師は職業規則
http://www.hi-ho.ne.jp/okajimamic/d512.pdf
http://www.hi-ho.ne.jp/okajimamic/d513.pdf
を自ら作り、その遵守を宣誓し、違反者は医師と司法の裁判官による医師職業裁判所で処罰される。こういう姿勢に対して国民は"信頼と尊敬"で応え、医療裁判の案件も増加傾向にあるとは言え米国、日本のような状況ではない。
本来信頼を土台として成り立つ医療では信頼を確保するために医療者、患者の両者が行わ ねばならない必須作業がある。
すなわち、医師をはじめとする医療者が自らの職務規範を定めず、自らの質の保証(教育・研修・信任制 度の実施)を行わず、過誤を犯してもその職務審判すら受けずして、どうして信頼を勝ち得るのか。
患者となる国民は医療情報の共有化(手帳に全ての情報を記録・添付)、家庭医の確保、救急医療機関の事前準備(総合病院・24時間体制・複数常勤医当直等の調査)、インフォームドコンセントへの理解とその確保などを行わずに、どうして納得しうる医療を受けうるのか。
医療裁判において、残念ながら高裁で敗訴となり現在最高裁で検討されている、あるいは 結審した案件についてそのポイントを提示する。その上で、日本式の医療裁判は本来基本
的人権、生存権の保証されている国では、医療過誤の第一義的検証にはそぐわない事を理 解されたい。同時に一医師会員としても日本医師会が日本の医学医療のルーツであるドイ
ツに学んで自ら「医師の職務規範を定めその遵守と違反時の審判制度」を定める法律を提 案し実践することを求める。
また、医療事故被害者救済センター構想(図)を具体化することが発展した文明国で ある日本にとって21世紀に見合った社会保障の一貫であろう。
■案件1
■案件2
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