●8月2日 日曜日 | |
午前4時30分 起床。そとはまだ暗い。シャワー・歯磨き・髭剃りをのんびりとこなす。血糖を測ってみる。150mg% まずまずか。常用のビタミン剤・メバロチンを服用。 それにしてもこのブラウンの髭剃り器は以前のものより格段に使いやすい。充電も2週間くらい不要とのこと、スグレモノダ。やっと5時半、ということは日本は11時30分、妻は啓太郎とゴルフ中か。今日は並木さんを迎えに行くので8時15分に出発予定。6時30分に朝食へ。これがよかった。
個人的にオムレツを目の前で作ってくれる。トウモロコシのえさでは黄身が白っぽい黄色になり、ピーマン・トマト・オニオン・ハム・チーズを混ぜた方がおいしそうだし、実際おいしい。玉ねぎはもう少し炒めた方がいいんだけど混んでいて言いにくい。写真を撮ってからは親しくなりKIDOGO(もう少し)fry, please. O-Kなんて調子だった。ジュースはオレンジ。グレープフルーツは未だなし。ベーコン・ハッシュドポテト・魚の炒め・胚芽パン・いささかぬるいコーヒー・マンゴ・パパイヤが本日の朝食でした。ごちそうさま。
いささかぬるいコーヒーはこのあとの食事から俄然改善し 愛想よく"Good morning, Dr. Mori. Jumbo! Habali? O-O-K-EE. Hot Coffee? O-K- Really hot one! Yahhhhh"なんてことになった。大好き!以50シル伝心だわ。言ってないのにペットボトルの水まで持ってきてくれる。A SANTE SAANA.(ありがとさん)。
皆さんが朝食を摂られる頃に空港に出かける。このあたりで二人のケニヤの若者を紹介する。Mr. Ocheng George Ondulo 31歳=通称 ジョージと Mr. Stephen Y. Hongo 30歳=スティーファンである。彼らはケニヤ西部のキスムからきたルオー族の若者でジョージがリーダーでドライバーの手配まで取り仕切っている。勿論すべてルオーの人たちである。中部、ナイロビ近辺のキクユ族とは民族としてもルーツが異なる。以前からルオーの人たちはよく働き、頭脳も優秀だと聞いていたが、ジョージ等と一緒に数日過ごしてその意を一層強くした。
ジョージはフットワークが軽く、レスポンスが素早い。なによりも彼もスティファンも素晴らしい日本語の会話力を培っている。
テープとテキストで独学したとのことだがその意欲と持続性のある努力には、エンブ族などの気楽な連中と比べて感服した。サファリ中の交渉、メンバーへの気遣い、小生との意志の疎通いずれも十分に満足できた。人柄はジョージはやさしくて、女性群に人気が高い。日本人向きであるのは確かだ。ストイックなプロテスタントで酒・たばこはいっさいやらない。日本人の奥さんとの新婚さんでいまだ子供はいない。後でわかったことだが奥さんはTsabo (サボ)国立公園ではぐれた孤児の象の面倒を見る人達とボランティアとして働いているそうだ。じゃあすれ違いが多いのか、気の毒に。
SOMAK社の社員には違いないが、契約社員のような雇用関係なのかはっきりしない。9月に来日するときに更に詳しく確認しよう。スティファンとTekko Tours & Travel という会社もやっている。次回から彼らに直接ケニヤでの対応を依頼する積もりである。ケニヤの若者の置かれている状況は決して楽観できるものではない。一次産業が中心で雇用を拡大するための製造業などが少なく大学を出ても就職が難しい状態である。なによりも欧米人やエイシアンに使われて殆ど搾取されている現状から自立する意識改革がなければならない。その為には彼らのような優秀な若者が協力し、得意な方面でおのおのの能力を発揮してチームとして成功を目指す作業を進める必要がある。 ジョージの統率力と交渉能力、ケニヤ人としてのプライドがあれば、例えば我々のような搾取とは無縁の人たちの協力を得ながら、自立して行くことは困難ではない。彼らが日本に拠点をもって積極的にサファリツアー客を獲得し、同時に日本で彼らのプロダクトを販売し、ケニヤ風飲食を可能にすればそれなりに自立できると思われる。マトマイニが外務省の支援で始めようとしている草木染製品の生産はその販売法も考えなければならない。ケニヤ人による日本での拠点がその受け皿になることもあながち夢物語でもない。とにかく久しぶりに打てば響きそうな人たちがいたことは幸せであり、今後ともに働ければいいのだが。
スティファンは以前から日本により密着しており「なるほど ザ ワールド」の看板もちをしたことがあるらしい。大変愉快な人で、コメディアンになれる。サンコンさんよりも上手。特にナクールでケニヤン ダンス ショーがあったときに、客席の側で踊ってくれたのは実に楽しく、笑いすぎるくらいであった。彼もスマートな頭と流暢な日本語を武器にがんばれるだろう。とにかく今回ジョージを個人的に招待している。今後の共同作業を十分に検討したく思う。 さて、再び車を飛ばして空港に向かう。入り口の手前で空港入場料を払わされる。30シリングほどだったと思うが全ての車両に科せられるのは珍しい。丁度空港に入るときに英国航空の飛行機が着陸していった。程なく並木さんの姿が税関から見える。一人旅ご苦労さんでした。大急ぎでホテルに取って返し、皆さん揃ってマトマイニへ出かける。 10時30分出発。どうも午前中の天候は曇りが続いているらしい。昨日も昼からは青空も見え温度も上がったから同じだろう。半袖にブッシュのベストで十分である。所々に咲いている花は色違いのブーゲンビリアが多い。花についての素養が乏しく、ただただきれいだなと賞美するのみ。車はこれ以上のガタガタ道はないとおもえるほどの悪路を経て、マトマイニ孤児院=希望の家に入る。
人間も動物であり、衣食住という動物としての生存原則を確保することがいかに大変なことか、そのことが自然と保障されているかのように見える日本はいかに幸せかが自ずから分かる。さらに人間は程度の差はあれ、知的欲求のある動物である。学ぶことがいかにこの国では大変なことか、どれだけ子供たちは学びたがっていることか、ノート一冊、鉛筆一本、教科書一冊がいかに大切なものかを知ることが出来る。鉛筆が もてないほど短くなってもさらに延長器を用いて使った経験のある小生にとっては、これらの原則をいつの時代も子供心に植え込むことが必須であろうと信じる。孫達は是非にも連れてきて一年くらいこちらで過ごさせようと考えている。 その為にもこちらに診療所か病院を作りたいものである。菊本さんから改めてマトマイニの説明をして頂き、ベランダからゆっくりと全体を眺める。昨年は渇水で水のなかった川は今年は十分に潤っている。その向こうはナイロビで、とくに裕福な人たちが住んでいる。実際通ってみるとすごく立派な家が大きな庭を連ねている。ジョージが寂しそうに殆どが"ホワイト"だと語った口調が忘れられない。いつか君たちが住めばいいのだといったが自信がない。
なんでも一週間ほどまえに四頭いた牛が一頭殺され三頭盗まれたそうで、「バイオガス=メタンガス」製造用のタンクは休業中である。川から水をくみ上げて畑に供給するウィンドミルー風車は風が弱い割には律義に回転している。井戸堀機は日曜日で動いていないが、目下岩盤にあたっていて一日1−2メートルしか進まないとのこと。がんばれ、がんばれ。
キャンパスの中を案内してもらう。至る所にこじんまりした畑がある。日本人好みの野菜、春菊、ニラ、チンゲン菜、青ねぎなどが収穫真近にまでそだっている。ペットボトルに水を入れて逆さまに立てておくのもなかなかのアイディアである。坂を下って川に向かうが、至る所に菊のような花、朝顔の原生、いたどり、パパイア、パッションフルーツなどがあり、水があれば土壌の専門家の協力で緑豊かな大地に改造することも可能なんだなと納得する。
僕らはみんな生きている 生きているから歌うんだ…日本語の歌は相変わらず上手である。リズムにのって踊ることにかけては先天的なものがある。コンゴリズムと呼んでいたようにおもうが、 ターンタッタッ、ターンタッタッというリズムにのってそりゃー上手に踊る。5歳の子供までがのりまくっており脱帽。貧しいなんてなんの影響も与えない。そもそも人の生活で、音楽、ダンスは衣食住に匹敵するベーシックなものなのであろう。 子供たちと遊んでいるうちに午後3時を回り、明日からのサファリにそなえて早めにホテルに戻ることにする。夕食はビュッフェ形式にする。お疲れの割には食欲は落ちていないように見受ける。もっとも味の方は、カレーとティラピアのフライはいいがスープ他は余りよくない。肉はグラーシュ風が多いが小生には合わない。デミグラソースなんてないんかしらと思う。マトマイニを訪れた後ではとにかくなんでもおいしく食さないといけないなと頭は考えるが、舌はついついわがままになる。南アフリカ産のワインはテーブルワインとしては十分である。
明日は皆さんはマサイマラへサファリに出発、小生はDr. Pambaにお願いしケニヤッタ国立病院の見学をさせて頂く積もりである。昔この病院が完成する前から知っている者として見学出来ればいいのだが。数年前に菊本さんから届いた新聞、NATIONに載っていた写真では無残に破壊されたトイレや器械の補充がない透析室がみられ、当時御存命であった故曲直部 寿夫先生になんとか修復できないでしょうかと相談したことがあった。先生は例によってやさしく一度JICAに聞いてみようかとおっしゃって頂いたのを思い出す。先生は小生をケニヤに派遣して頂いただけでなく、この地でパスポートを公用から通常にかえ、帰国せずに渡米することを法務省に交渉して頂いた。さらに米国の病院への推薦状、4年後に帰国した際の身の振り方などその後の小生の人生を医師として、社会人としてなんとか人並みに形作ることが出来た第一の恩人でもある。ケニヤッタ病院見学の後に第二班がインド経由で到着する予定で三回目の空港行きだ。今日もウイスキーのナイトキャップは欠かせない。お休み。
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