ケニヤ紀行


 昨年夏に25年ぶりにケニヤを訪れて以来、心のどこかにいつもケニヤが潜んでいる気がしている。それとともにいままでの価値観・生きざまが少し立体的な形を変え始めていた。
 診療・運営・事故調査会業務などの公務ともいえる面はより積極的になってはいるが自らの人生における価値はいささか楕円形になってきている。プライベートな内面はなにかしら若返ったような、いささか充実したような、素直になったような、とにかくうれしくなるような気がしてならない。

 昨年帰国後、直ちに今年の訪問の計画を建ててみた。昨年はまさにイントロそのものであった。なによりもJTBの不手際で南アフリカ経由という行程変更を余儀なくされ、そこにナイロビ空港管制官のストライキが加わり、ヨハネスブルグ一泊、プレトリアツアーなんてことになってしまった。南アフリカの一端を垣間見ることもそれなりに楽しかったが、どうも私はケニヤへの思い入れが強かったこともあり不完全燃焼は否めなかった。

 ナイロビに入ったあと、マトマイニは夜の数時間のみで、アンボセリはキリマンジャロと蜃気楼であっという間に過ぎ、ケニヤを思い出したぞっと思ったときは帰りの飛行機の中であった。それでもナイロビを飛び立ち南ァへ向かいはじめたとき眼下にキリマンジャロの頂上が現れたのは感激だった。このルートでなければみることが出来ないキリマンジャロの珍しい姿と南アのワインの美味さと合わせて差し引きチャラにする。

 さて、私の頭にあるケニヤは、11ヶ月近くいたエンブの風情が根底にある。それは緑豊かで、ジャカランダの咲き乱れるプロムナード、赤土のほこりで茶色くなるシャツ、アイザック ウォルトン インの白いイスとタスカビール、国際フットボールチームでのサッカーゲーム、伝統あるカンガルー高校の子供たち、毎月あったまさに国際的パーティー、町の入り口近くの広場にあった市場、枝肉をさばかずにつるして適当に切り売りする肉屋、しっかりと儲けていた菜食主義のエイシアン(インド・パキスタン・バングラディシュ人)、人懐っこく、シャイで、約束にルーズで、それだから余計大好きな人たちで埋まっている。イントロとはいえ昨年の訪問は埋もれていたこの風情を掘り起こしてくれた。そう、今年からは毎年ケニヤに行こう。いや、帰ろう。

 31歳の一年は、臨床医としての再生の第一歩であった。大学闘争後のむなしく、殺伐とした日々から脱して、妻と息子とともにインド洋を飛び越えてたどりついたエンブだった。ケニヤの子供たちは明るく素直で甘えん坊だったが、悲しむ暇もないほど次々と命を失っていった。はしかが、百日咳が、マラリアが、結核が、肺炎が、栄養失調の体から命を吸い取っていくのをただただ眺める毎日だった。いかにして食べるかがまずもって問題でおよそ予防接種なんぞはとても実施できる域に達していなかった。それでも薬のある間はよかった。それもなくなり、出来ることは消毒、毎日土で汚れる床掃除、竹シャワーでの体の洗濯、卵を食べよう運動など公衆衛生活動ばかりであった。

もっともマタニティーウォードでは毎日御産があり、吸引分娩や帝王切開もまれではなかった。生きている子が病気で亡くなるのはつらいけどよくあることで、それにこだわっているより次々と新しい子供を作ることが大切なんだとわかるのに時間はかからなかった。クワッシャコール・マラスムスといった栄養不良の子供の感染症に無け無しの抗生物質を使う前に輸血をすれば有効かなと親から採血できる場合はよく試みた。それでも目を離すと輸血セットの先を口にする親、そういう親に限って肥満体が多かった、がいたのにはさすがにケニヤのナースもビンタで応えていた。

 昨年のマトマイニの子供たちは元気で栄養もよくさすがに25年前の悲惨さはなかったが、菊本さん等が炊き出しで援助しているストリートチルドレンは心配である。今年はなんとか健康診断を始めたく、SRL社の協力も含めて多方面にご支援をお願いする。そんな時に東海大学 総合診療部 澤田祐介教授がケニヤにNGO組織を持っておられることを知ったのはまさにラッキーそのものである。
彼の紹介でナイロビ大学医学部長、Dr. H.O. Pambaにお会いすることが出来、ケニヤでの健康診断の承認と協力を約束して頂いた。健康診断の質を高めるために、SRL社の協力で富士メディカルシステム株式会社より「富士ドライケム3030―6項目の血液化学検査が可能」及びダイナボット株式会社より「HIV簡易測定キットー50μgの全血、15分で判定」を提供して頂き、短時間で正確なデータが得られ感謝している。リポート用紙もできるだけ簡便に記載できるように工夫する。SRL社の徐氏の参加を得ているため検査結果の質はまったく問題無い。

ツアーの方は昨年と違って充実している自信がある。検診班以外のかたはマトマイニの訪問のあとマサイマラからサファリを始めて頂く。検診班は3日後れでナクールで合流する。並木さんが一日後れでこられ、SRL社の人たちはツリートップーアウトスパンホテルから8月7日に、並木さんは8月8日にサンブルからセスナ機でナイロビに戻りそれぞれ一足先に帰国される予定である。そんなこんなであっという間に準備期間が過ぎ、またケニヤを訪れる日がやったきた。

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