最近、厚生労働省は医療事故情報を収集し解析、防止対策を検討する第三者機関の設立を準備し、民事裁判で過誤が確立した医師は医道審議会にて審判にかける方針を決定した。1999年以来、マスメディアも含めて医療過誤の社会的アピールが日常化してきたがそれに呼応するように、法的根拠も不明確のままに、主として公的機関の過誤事件は"警察に通告"され、書類送検の後、結果に応じて関与した医療者に対する「刑事訴追」も常習化しつつあることを危惧したものであろう。また、事故の発生が予想以上に大量で、深刻な結果をもたらすケースも半端な数ではないことが判明し、やっと欧米が取り組んでいるような根本的、総合的な対策を講じざるを得ないことに気付かされたと言える。この時点で、医療事故・過誤に対する日本的刑事責任の追及について私見を述べる。本文の要旨は日本の論点2003においても記している。
平成11年1月11日に発生した横浜市大患者取り違え手術事件では、一審にて加害者たる医師は禁固刑が求刑されたが、判決では罰金刑に軽減され、手術室で二人の患者を受け取り、患者の同定を行わずに後方に送った看護師は禁固刑+執行猶予が科せられている。外部評価委員会(資料1)による「医療者の能力不足」、「講座制による弊害」、「医療職の量的・質的不足」などの事故土壌に対する指摘には殆ど手がつけられず、病院内に医療安全管理に関する講座が生まれたことが特筆されるくらいであるが残念ながらその後も医療事故は発生し続けている。
さらに、平成13年3月5日、東京女子医科大学付属病院において心房中隔欠損症の手術を受けた12歳の少女が、術中の人工心肺取り扱いミスにより術後死亡するという事件が起こった。そもそも死亡率の限りなく低い待機的な本手術において、心臓外科部門ではリーダー的評価を得ていた東京女子医科大学病院で死を招いたことは驚きである。しかもその原因が、人工心肺の初歩的操作ミスとそのことに対応できない医師によってチームが構成されていたことは信じられないことである。そのうえ、事実を執刀医が主導して、監督教授を始め、看護師長らとともに隠蔽し、カルテの改ざん等の証拠隠滅に及んでいたことは、この大学の講座内の診療モラルが如何に低下していたかを物語っている。当然の結果として、患者家族は担当医師、大学を刑事告発するとともに民事訴訟を起こしている。事情聴取の過程においていかなる経緯があったのかは不明であるが、執刀医は証拠隠滅罪で逮捕されるという異例な事態に至っている。それに対して大学は根本的対策を無視して、早々と担当教授,医師に対する懲罰的対応を発表し一件落着させようとしている。この事件以外にも埼玉医大では抗癌剤ビンクリスティン誤投与による死亡事故他数件の訴訟事例を抱えており、産業医科大学では未熟極まりない執刀者による心臓外科事故を起こしている。 これら"過失致死罪"か"未必の故意"かの判定に苦しむ例の枚挙に暇がないが、司法の取り扱いには一貫性がなく、公平性という点から見ても大きなばらつきがある。一方、患者との契約責任も含めて重要な位置にある私立医科大学では早期に担当医師を懲戒解雇、諭旨退職することにより"無関係"あるいは"責任の軽減"を図る傾向がある。資料2に示すのは市民団体Medioが調査した平成8年から12年までの東京地裁が取り扱う私立医科大学の医療裁判案件総数135件中、東京女子医科大学を筆頭とする10件以上の案件を抱える7大学である。これら7大学で実に7割近くを占めている。これらの多くはマスメディアに捉えられておらず、大半は刑事訴追には至っていない。医療事故調査会でも後述のとおり同僚審査を行なっているが、過誤が確定したケ−スでも刑事訴追された例はない。
さて、司法者による医療事故・過誤に対する法的解釈は以下の通りである。患者の疾病回復あるいは健康維持に対して"その改善を目的とする行為"すなわち、医療行為を行った際に"何らかの不都合"によって目的とは異なった結果、時には死亡も含む、をもたらしたときに医療過誤が存在したとする。この過誤に対して、刑事、民事責任が問われる。通常は"過失責任"であるが、司法者によって"非常に悪質な手術失敗事例"などと判断されると"未必の故意責任"が問われる可能性はある。この故意を主として問うのが刑事責任であり、過失は刑法38条の規定に限って罰せられる。民事においては故意・過失は同等に扱われる(民法709条)。医療過誤に適用される業務上過失致死傷罪(刑法211条)はあくまでも例外規定であるが、"死が予測されうるような稚拙で未熟な手術を強行した場合"などは"未必の故意"解釈から刑法199条の殺人罪を適用しうる。ちなみに刑法211条の罰則は5年以下の懲役あるいは禁固または50万円以下の罰金である。産業医大、埼玉医大のケースや未経験のバイパス術を施行して死に至らしめた大津市の例などは多分に未必の故意に相当すると思われるが、実際は訴追もされていない。医療過誤が発生した場合、個人開業医は契約・不法行為責任のいずれかを問われる。病院の場合、勤務医とは雇用関係にあり、医師は医療契約上"履行補助者"である。医療契約自体は患者と病院間に結ばれているので、医師に対しては不法行為責任しか追及しえず、病院には債務不履行と不法行為上の使用者責任(民法715条)を問うことが出来る。この解釈によって、通常の医療過誤では民事訴訟が中心である。
このような司法の平均的解釈を越えて、厚生労働省は平成11年以来、未だ公的結論を出しえていないにもかかわらず、「医療過誤で死亡した場合は医師法21条により"異状死体"として直ちに警察に届け出る義務がある」としている。犯罪事件とのかかわりで出来たこの法律を盾になし崩し的に警察への届け出を義務付けることは大きな無理がある。その結果責任を安易な刑事訴追で形式的に取り繕い、事故の根本分析から防止対策、基本的改革への努力を粗相してきたことは、相変らず発生する事故が同じ土壌から起因していることを見ても明らかである。医療事故調査会では毎年シンポジウムで事故案件の鑑定と医療事故原因の分析を報告している。2002・6・16のシンポジウムでは医療事故539件中過誤は398件、74%でありそのうち62%は死亡に繋がっているという実態を報告した。しかもその過誤の原因の90%以上が医師の能力不足による原則的過誤である。この分析内容が過去7年間全く変化しないということは何等改善策が講じられていないことを意味している。勿論、これらのケースで刑事訴追された形跡は皆無である。ここにも理不尽な不公平が存在する。ところで、なにゆえにこの国ではマスメディアも含めて、刑事罰−罰としては軽微である−を科して一件落着しようとしているのであろうか。単なる時代劇画的嗜好によるものではなかろう。それこそは実は行政、医師職能団体の望むところなのである。結果責任を負わせているような振りをすることで、国民の不満を一応吸収し、自らに自律的、継続的縛りをかけざるを得なくなる本質的分析から改善策の整備へと通じることに歯止めをかけている。このような刑事訴追をする限り根本的改革はなし得ない。前ハーバード大学助教授李 啓充氏は医学界新聞で、「日本に見られる医療現場に事故はあってはならないという考え方と同様に、医療事故者に刑事罰で臨めば一罰百戒的効果があり、医療事故がなくなるというドグマは幻想である」と語っている。4000年前のバビロン法典に手術失敗者は両手を落とすべしと記されていることを例にとって、日本はそのころの価値観を社会に残していると揶揄している。
そもそも医療行為は「国家資格を持つ専門家が医療目的で行う人間に対する傷害行為」である。医療者とて人間であり、常に過ちを犯す習性がある。一方、わが国では国家も含めた社会システムが医療事故防止に必須の事故発生要因を改革・改善せずに放置し、結果として医療現場は事故の海と化している。それを前にしてなお、「Cosmetic
Complianceやっている振りだけする」という怠慢姿勢を示すのみでは国民は「自己の診療を運・不運に任せざるを得ない」という危機に見舞われている。安易で何の効果もない"刑事訴追"はまさにその象徴であり、"それしか責任をとらせる=罰する方法がない」というマスメディアの言い訳もまた薄ら寒いものがある。過失傷害致死傷罪で刑事罰を受けても、態度殊勝であれば実態は罰金刑か執行猶予付の禁固刑であり、本人にとっては一時の我慢で済み、再教育・研修など何等自己改革には繋がらない。昭和46年から平成13年までの30年間に医師免許取り消しを受けた医師はわずかに36名であり、そのうち19名は殺人罪、わいせつ罪などの刑事罰に由来している。業務停止は451名であるが、医師法に関連するのは33件のみである(図1,2)。いずれも再教育などは科せられておらず、その多くは何らかの形で所を変えて医師を続けている(健康保険医資格は都道府県をかわれば再取得しうる)。医道審議会で医療事故のために免許停止、取り消しを受けたケースはなく、再教育・研修を科することはその権限外と考えられている。職能団体、行政が自律的対策を立てず、社会もそれを容認し、教育・研修・信任制度は無視され続けている国で医療を行なうには自ら身を律する以外にない。(資料3:医真会医師職務規範の梗概)日本が明治に医学・医療を輸入・吸収したドイツを見るとその違いに驚かされる。ドイツでも恣意的な悪質医療者は刑事訴追されることもあるが通常の医療事故者が刑事訴追されることはない。ドイツ医師会は医師職業規則を定め、2審制の医師職業裁判所を持っており、審判は医師を中心に司法者の支援を得て行っている。そういう自律的実践の上に"信頼"が保たれていることは日本人にとっても示唆に富んでいる。それがあるからこそ、国民は医療事故案件を裁判に持ち込まず、医師会の鑑定に委ねて良しとしているのであろう。日本の医師も21世紀の医師憲章に基づき身を律すると共に、審判制度を自ら提案し、本来のあるべき姿を再生しようではないか(資料4)。刑事訴追に変わる策はそれしかない。
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