ボランティア
 

● ボランティア活動 ●


ボランティアとは
 1995年1月17日の阪神・淡路大震災、1997年1月2日のロシア船籍のタンカー沈没による福井県三国町沖に漂着した重油。
どちらの災害も毎日のように新聞やテレビ等で報道され、被災者への救援・物資の呼びかけが盛んにされていた。メディアを通じ、「同情」の域を越え、「共感」によるボランティア活動が長期にわたってなされていました。
 「同情」では人は動かないが、「共感」することで「もし自分だったら・・・」と類推し、痛みを実感することで、行動に移ることができる。
 これらの大きな災害によって、日本も「ボランティア元年」「ボランティア革命」とも表せられるほどのものであり、わが国でボランティア活動が改めて大きく取り上げられた。

 でも、ボランティア活動ということをどれだけの人が理解しているだろうか。
ボランティア=無償、奉仕、犠牲、というふうに思っている人は多いのではないでしょうか。
ボランティア活動をしている人は、そのようには思っていない。自分を犠牲(我慢)にして活動しているというより、我慢できないからするといった感じではないだろうか。
 阪神・淡路大震災では1日に2万人ほどのボランティアが被災地に駆けつけたという。それらの多くは、若い10代・20代だ。最初は、好奇心からの場合もあるかもしれないが、現地の被災を目の当たりにすることで、怒りや悲しみ、感動、充実感によって活動が進められていく。

 ボランティアという意味は、元々、volunteerという英語で、語尾のerは人を示す接尾辞で、keepとkeeper,adviseとadviserなどと同様の関係で「volunteな人」ということになる。
 では、volunteとはどういう意味なのかというと、この言葉の語幹をなすvolは、「意思」「するつもりだ」という意味のwillと同じ語源で、volunteerとは単純に言えば、「willの人」という意味で、「何かをしようとする人」「自発的に行動する人」というわけです。

ボランティアの社会的位置
 震災のとき避難所では、被災者がボランティアを手足のように使ったりトイレ掃除を要求したり、ボランティアが他の避難所に来てくれないという不満が出たりした。これは、震災という非常時で、双方に余裕がなかったこともあるかもしれないが、多くの人たちのボランティアの役割を理解していなかったことが原因であろう。

 本来なら震災などの災害時には、生存的内容(衣・食・住)の実現は政府が担うべき役割で、ボランティアがそれらの生存的内容を担当することにより、期待感のずれが生じたことによる原因である。
 それらを踏まえると、ボランティアの領域は、日常的には非権利領域であり、緊急時には、この領域も越えることがあると言える。
 でも、ボランティアは、社会において権利を生み出す最前線の活動であるといえる。
障害者や高齢者の介助や支援は、それらのサービスの行政による実施を要求したり、町を誰もが住みやすくするため、スロープやエレベーターなどの設置を障害者や高齢者の権利として要求する場合もあるだろう。
 このようにボランティアの領域は、権利とのかかわりでその境界線にほとんどつねにかかわっている重要な領域をなしている。権利は、権利に対する共感なくしては生まれず、この共感は、それを育む活動があってはじめて実現されるのである。

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