医療情報の開示

 
● ターミナルケアでの説明 ●
「在宅死での説明、住み慣れた家で死ぬということ」


提供: さくらいクリニック  院長 桜井 隆
http://www.reference.co.jp/sakurai/

治療、特集、患者さんへの情報提供とインフォームドコンセント
(南山堂、2001年2月増刊号)


 私はこの中の総論で「ターミナルケアでの説明、在宅死の説明、住み慣れた家で 死ぬということ」を執筆しました。 家庭医として在宅死に寄り添う立場から説明そのものが患者、家族を癒していく、そんな情報提供をめざして書いたものです。 この特集は、今どの医療現場でも必要とされている熱々のトピックを扱っていることと、執筆者が(その一人が言うのも何ですが)現場の人間でしかも、その道に通 じていることという視点で厳選されているという二つの理由から、非常にわかりや すくなっています。医療者だけでなく患者さんが御自分で読まれてもいい本だと思 います。


サマリー

 ターミナルケアでの説明はある一定の方針を納得してもらうためではなく患者、家族のさまざまな価値観を尊重し最後の自己決定を支えるために行われるべきもので 、揺れ動く気持ちに寄り添うものでなければならない。死が病院に閉じ込められ非日常化している現状では死のプロセスそのものをわかりやすく説明する必要がある 。その説明そのものが患者、家族を癒していくそんな情報提供を行いたい。


始めに

 もう入院はしたくないという消極的在宅ケアの結果としての在宅死から、死の時と場所を自らの意志で決定し人生の最後を住み慣れた家で過ごしたいという人が増えている。筆者は特に在宅ターミナルケアをめざすという強い意志があったわけではないが家庭医として在宅死に寄り添う積み重ねの中から「住み慣れた家で死ぬ」ことの素晴らしさに気づかされ、次第に積極的に病診連携による在宅ターミナルケアに取り組むようになった。在宅死を共に看取る町医者の経験談としてターミナル期での説明について述べたい。


ターミナル期の説明はバッドニュースの連続

 患者の生命が終わろうとしている、その事実を患者本人、家族にどのように伝えるか、医師にとってもつらい仕事といえる。情報開示に基づいたインフォームド.コ ンセントが進みつつあるとはいえその歴史は浅く、患者、医者双方とも情報を共有 した上で共同作業としての医療を構築することには不慣れだ。いきなり手術、抗癌 剤治療そして延命治療は?と人生最大の危機に直面した患者に選択を迫るのも酷な話だ。日常診療で予防接種をどうするか、生活習慣病をどうコントロールするかといった選択の延長線上に重大な疾患に際しての情報共有に基づいた自己決定が存在する。その意味では日常診療で患者、家族との接点を持つプライマリ.ケア医が患者の人生観、死生観に寄り添ったターミナル期の説明に果す役割は大きい。


患者への説明VS家族への説明

 ターミナル期の説明で医師を悩ませるのが告知や延命治療に関しての患者と家族の意向のずれであろう。世論調査でも本人と家族の意向の差ははっきりと現れている 。すなわち極論すれば「自分自身の場合はっきり告知を希望、延命治療は望まないが、家族には告知せず延命治療を望む」という傾向だ。
現状では家族の意向に添って対応せざるを得ないケースもあるが本来は本人の意思を尊重すべきだ。必ずしも患者ー家族関係が良好とは限らないことも考慮する必要がある。
在宅ターミナルケアの場合はすでに家族と病院主治医との間で本人への告知に関しての密約?ができていて本人が情報から除外されているケースもあるが、本人から病気や予後につい て問われた場合できるだけ正直に真実を伝えたい、と家族に了解をゆっくり求めるようにしている。「本人が真実を知ることは確かにつらいが、このIT化社会の中で本人だけを情報鎖国状態に置き続けることは不可能に近いし、知らされないで疑心暗鬼になって人生を共に歩み喜びや悲しみを分かち合ってきた家族との間に最後 に溝ができてしまうことの方が不幸になる可能性がある。本人が望むのなら状況に応じて本当のことを話した方が知らないで苦しむより楽になるのでは、、。」
本来 はこういった大事なことは医師からでなく家族から伝えるか、あるいは本人と家族同時に聞いてもらうべきだろう。本人の希望があって癌の再発や転移、余命について説明した場合、家族が心配するように本人が極度に取り乱したりするケースは少 ない。医療者の側に真実を告げた後のケアに自信がない、、と告知をためらう傾向 があるが、患者は本当にそこまで医療者に助けを求めるのだろうか?もちろん告知後に抑鬱状態があれば適切な医学的対応は必要だが、すべての患者が医療者に”スピリチャルケア”を求めるとは限らない。医療者は取りあえず医療面でのサポート に全力をつくし、さらに求めがあれば”トータルペイン”の緩和にもかかわってい くという姿勢を示すべきだろう。


やっかいな?遠くの親戚

 本人の希望と同居家族の納得の上で在宅ターミナルケアをすすめていたところ、親戚から「こんな状態で家に置いといて、、一刻も早く入院させろ、」と怒鳴り込まれた経験がある。家族、兄弟間で告知ー非告知、入院ー在宅等の論争が本人そっちのけで巻き起こるケースも経験した。在宅主治医として時間をとって家族会議に参加するなど本人の意向を尊重する形でトラブルの仲裁に入ったこともある。こういったことが起こりえることを事前に説明して家族、親戚間でも十分な話し合いをす るように勧めたほうがいい。本人不在の論争にならないように注意が必要だ。


積極的治療と緩和ケアの双方向性 

  ターミナル期の治療には症状のマネージメント、緩和ケアと、抗癌剤治療を続けるかといった積極的治療という2つの流れがある。もちろんこれら2つは相反するも のではなく同時に行うことも可能だ。疾病が発生して患者を肉体的、精神的に悩ませ始めたその時から緩和ケアは始められるべきで、ある瞬間で積極的治療は終了し緩和ケアが始まるという性格ではないことを理解してもらう。そうでないと一般病棟からホスピス病棟に変わった時、入院から在宅ケアに切替え退院した時にもう見捨てられた、と患者家族が思い込んでしまう恐れがある。モルヒネに対する一般の 誤解(習慣性のある危険な麻薬で死期を早める等)もないように説明しておく。


延命治療、蘇生術を施行するか否か

 末期患者への治療、輸液等についても一方的に情報のみを押し付け選択を迫るのではなく、選択肢を示した上で求められれば専門家として最良と考える方向性を提案することが必要な場合もあるだろう。最終的には症状を緩和できるか、QOLを維持できるかで本人、家族の意向を優先することになる。たとえば輸液は脱水を改善 して一時的に症状が改善する利点もあるが、過剰な輸液は腹水、胸水、浮腫を増強 させ溺死する状態を作り本人の苦痛を増す場合もあることを説明する。
突然の吐血 、下血、各種梗塞や塞栓といった突発的な症状変化の可能性にも言及しその際の治療方針や入院か在宅かといった対応についても一応の了解を得ておくが、その対応はフレキシブルであるべきだ。
また治療方針についてはターミナルケアの場合でも セカンド、サードオピニオンを利用できることを提案すべきだ。今後はこれら終末期の医療行為の是非については事前に本人の意向を示すいわゆる「リビングウイル」と関連して社会的問題として考えて行く必要がある。こういった議論は医療サイ ドも常に医師、看護婦、薬剤師などでカンファレンスを行う(できれば家族、本人 も交えて)などチームで考えていくべきで決して個人で抱え込まないことだ。


在宅か入院か?

 在宅ターミナルケアの可能な条件として患者自身が強く在宅を望んでいる、はっきり告知されている、家族が一致して在宅を希望しているといった条件が上げられることが多いが、すべてがそろわなくても在宅ターミナルケアは可能である。入院と違って在宅でのサービスについては患者は知らないことが多い。往診、訪問看護、 福祉用具、ヘルパー派遣などについての地域での情報提供が必要だ。骨転移などで 歩行困難であれば身体障害者手帳の取得や65歳以上(特定疾患であれば40歳以 上)なら介護保険の利用(申請時にさかのぼって認定結果が有効)も可能なら説明する。できれば入院可能な病院の緩和ケア病棟やホスピスと地域開業医が連携し入院、在宅の選択が自由に行えるシステムが患者にとって安心だ。


余命の予測

 「あと3カ月と言われたのに、、」よく聞く話である。いくら統計学的にとか一般的にとか注釈をつけたとしても数字だけが一人歩きする。予後の予測は慎重に幅を持って行う。医師は預言者ではない。「年は越せると思いますが、来春のお花見は ちょっとむずかしいかも、、」という婉曲な表現にとどめた方が無難な場合もある 。そしていかなる場合も急激な症状の変化によって時期が早まる可能性を示唆しておく。
患者、家族は必ずしも正確な数字を知りたいのではなく死の受容の過程としてある程度の予測ができれば十分な場合が多い。筆者は月、週、日、時間と単位で予後を予測して説明する。この際気をつけるべきことは残り時間を知らされて生きる、という今まで人類があまり経験したことのない状態におかれた患者、家族の気持ちを尊重することだ。さまざまな代替療法、民間療法に奇跡を求める患者、家族の思いをエビデンスがない、と科学者として冷酷に切り捨てるのではなく隣人として支える姿勢も必要だろう。


死のプロセスの説明

 死を身近に経験しない現状では死に至るプロセスを段階的に説明する必要がある。 残された余命が月から週の単位と予測される時点で家族に死亡時の説明を行う。こういった説明によって次第に家族は死の受容を行っていく。何例か本人にも死のプロセスを説明したことがあるが眠るように死ねると聞いて安心したという反応がほとんどであった。是非じっくり座って対話ができる時間と場所をセッティングしたい。
筆者は診療終了後、夜間の往診時にゆっくり話すことにしている。きっちりと した緩和ケアがおこなわれれば患者が痛みで苦しんで死んでいくことはまずありえないこと、ほとんどのケースでうとうと寝ている状態ー呼べば覚醒してコミュニケーションできる状態ー呼びかけても反応しない状態を経て眠るようにして呼吸停止 、心停止していくといった状態を話しておく。この際臨終直前にみられるチェーンストーク呼吸や下顎呼吸についても言及し実演するなどして家族に理解してもらうようにする。
この状態になればほとんど意識はなく見た目ほど本人は苦しくないと思われることも含めて話す。(一生懸命説明したつもりでも”化学呼吸ってなんだろう?”と不信がられていた、という経験もある。)
聴覚は最後まで残ると言われており家族の声がなによりの安心、いろいろ語りかけてあげるように伝えておく。
また死ぬことは意識がなくなって心臓、呼吸が止り細胞が死んでいくその連続した過程であって瞬間ではない、便宜上心臓、呼吸停止(あるいは脳死)を臨終としているだけでいわゆる”死に目に会えない”ことにあまりこだわる必要がないのでは、といったことも説明する。
筆者はこういった説明を決して深刻にならず しかし真剣に、できればユーモアを交えて話せるようになりたいと願っている。 そして死が訪れる。筆者はどの時点で医師を呼ぶかは家族の判断に任せている。十分な説明がなされて家族が納得していると家族でお別れした後に呼ばれることもある。
本人と家族が主役の最後の荘厳な場面、医療者は数歩下ってそっと支えればい い。可能なら訪問看護婦等による死後の処置、そして死亡診断書の交付でひとまず 医療者の役目は終わる。筆者は葬式には参加せず、いわるゆるグリーフケアに関しては求めがなければ積極的には行っていない。


まとめ

 ターミナル期の説明は人生を幕を閉じようとしている方に医師が最後に送るお見舞いの言葉といってもいいだろう。あくまで押し付けでなく本人、家族の気持ちに寄 り添うようになされる必要がある。死は本来極めて日常的なもので決して医療に管理されるものではなく、死のほんの一部に医療がかかわるだけのはずだ。本来医師が説明するということにもなじまないのかもしれない。説明もそういった謙虚さで行うべきだろう。住み慣れた家で有終の美を飾る、そんな方を家族や近所のおばちゃんや町医者や看護婦達が当たり前に見送る、そんな死の日常化にゆっくりすすん でいきたい。


死が近づいてきた時の様子

うとうと寝ていることが多くなりますが、呼ぶと目をあけ反応します。
食事の量が減り、ほおや目などのやせが目立つようになります。
食物や水分が飲み込みにくくなりむせることがあります。 (プリンやゼリーなどつるっとしたものが飲み込みやすいこともあります。)
わけのわからないことをしゃべったりすることがあります。
便や尿を失敗することがあります。
口が乾燥して言葉が出にくくなり、痰がきれにくくなります。 (氷やぬらした綿棒などで口をしめらせるとしゃべれることもあります。)
手足が冷たくなってきます。(血圧が下るため)


いよいよ死が訪れ息をひきとられる時の様子

呼んでもさすっても反応がなくほとんど動かなくなります。
大きく呼吸をした後10ー15秒止って、また呼吸をする波のような息の仕方になります。
肩や下顎を上下させて浅い呼吸をするようになります。
呼吸が止り、胸や顎の動きがなくなります。
脈が触れなくなり心臓が止ります。
手足が冷たくなり次第に固くなって来ます。


(参考図書)
「真実を伝える」 ロバート・バックマン著 恒藤 暁 監訳  診断と治療社
「誰でもできる緩和医療」 武田文和 監修 医学書院
「退院後の癌患者支援ガイド」 日本ホスピス在宅ケア研究会 編集 プリメド社
「やったらできた 在宅ホスピス」 崎谷 武彦 保健同人社
「先生・・すまんけどなあ・・・」 桜井 隆 エピック社

 

 

 

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