学童保育
 

● 学童保育の魅力は ●


大阪市東住吉区南田辺 ひよこ学童OB

子ども  今、学童保育に関わりをもった13年前の記録を読み返しては、あの頃、こんな思いでいたのか、こんな事を考えていたのかと懐かしさが甦ってきた。
 私は、子どもを学童に入れる前から多大な関心を抱いていたが、実際に関わるようになるとそれは一層拡大され生活の大半を占めていくようになった。どうしてそこまで学童保育が魅力の砦になっていつたのだろうか。よく夫が「学童は趣味みたいやなぁ」と苦笑していたが、日常的に我が家の中心話題となっていたのは確かだ。今、振り返えると2つの事が言える。

 1つは、指導員に対して強い信頼があったことだ。我が子の話の中によく「昼間の兄弟」という言葉がでていた。私は、この表現が大好きだった。昼間は、親がわりである指導員のまわりを沢山の異年令児が囲み生き生きと生活している状況は、まさしく、心が通じ合った「兄弟」という表現がピッタリではないだろうか。
 そして、みんなが遊びの主人公になれる意欲的な取り組みを学童通信「あしあと」を通して親にきめ細かく知らせてくれるのだった。私は、家事を二の次にしてでも何故かそれを興味深く読み、まるで自分の事が書かれているかのような錯覚を覚えるぐらい魅かれてしまっていた。そして、続んだ感想をせっせと書いては積極的に「あしあと」に参加していったように記憶している。

 2つは、子育てを語り合える親のつながりがあったことだ。それは、「赤い回覧ノート」がひとつのパイプ役になっていた。久しぶりに自分の元に廻ってくるとむさぼるように読み、時には涙し笑いその親の思いが手にとるように伝わり共感したりどんなにか励みになったことでしょう。
 また、父母会活動も活発だった。課題のの多い運営面の話が中心だったが、同時に指導員から子ども達の様子を聞くことが楽しみでそこから話しが発展して時間を忘れて本音で語り合えた事も懐かしい思い出である。子ども達が、異年令集団の中で育つように親達も刺激を受け合いながら育ち合えた学童保育。目の前の我が子しか見えなくて悩んでいる時に「先輩」の子育観を聞く事で少し見通しが持て、ゆっくり見守ってやろうという気持ちになったものだ。

 もうすでに社会人となって親元から巣立っていった二人の娘達だが、時々『成長の記録」を読み返しては学童保育での思い出に浸っている。私達が関わった時代と今とでは学童保育へ要求される課題も違うでしょう。しかし、子どもに対する親の願いはいつの時代も同じではないでしょうか。どの子もすぺて賢く自分の生活を律していけるように、その為にも学童保育の役割は大きいと思うのです。

 学童保育を7年前に卒業した次女の感想を載せます。
学童って聞くと今でも温かいものを感じます。一度、友達に「預けられてかわいそう」って言われた事があった。(略)でも、純粋に楽しかったし、学童の仲間が好きだった。思い出と言えばきりがない。キャンプやバザーどれをとっても楽しかった。学童にいたからこそいっぱいの事が学べたように思います。ひと言で言うと「私の小学校時代のすべて」です。)

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