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● 私とアシステッドリビングホームホームとの出会い ●


 1992年6月に米国における高齢福祉の研究と市場調査ため米国に渡米したのが私とアシステッドリビングホームとのはじめての出会いでした。

米国の研究を行うにあたり当然のことながら日本の施設で数回に渡る実習や各地の研究会に出席し、デンマーク・スェーデンをはじめとする福祉が発達しているい国々の映像や書物を読みあさりました。 だから決して日本という国が福祉に貧しいと国だとは考えたことはありません。多くの現場で頑張っている方々と話し、討議を交わすことで日本の素晴らしさも十分に理解した上での日本出発でした。

しかし、現地での研究がはじまるやいなや、バージニア州にあるアシステッドリビングホームのリーディングカンパニーが運営するアシステッドリビングホームに訪れた時、私自身の今までの考え方や概念というべきものすべてが消えされてしまいました。見るものもすべてが新鮮で感銘し、共鳴できるものばかりでした。

とはいうものの、私の心のどこかには常に日本人だから、アメリカ人との文化も違うし歴史も違うからと自らを慰めていました。そんな時、ホームの代表者に日本の現状を話しする中で、日本にアシステッドリビングホームはないのかと質問され、「無い」と答えると、それはなぜかと再度質問され、政策の違い・歴史的背景・文化の違いと日本人と米国人では考え方が違う等となんだか日本人の代表になったつもりで彼らに応戦しましたが、彼らの一言で敗北してしまったのです。

彼らの一言とは、『アシステッドリビングホームの広義の意味の中に人間は死を迎える日からおおむね5年前に遡ると必ず誰かの助けやアシストを必要し、人間としての尊厳とそれに対応出来る生活環境は必ず必要であり、東洋人だとか欧米人だということは関係ない』ということでした。
私自身の未熟さも十分にあることはわかっていましたがいわれてみると大変重みのある言葉でした。

 これから3回に渡りアシステッドリビングホームについて少しでも皆さんに理解していただけるよう伝えて行きたいと思っています。足かけ5年、日本と米国を行き来し、膨大の資料と彼らから教わった、人間としてのあり方、ケアスタッフの考え方や人材教育、痴呆ケア、ホームの運営手法、建物デザインとコスト等書き切れないほどのアイテムでおそらくすべてはお伝えすることはできませんが、アシステッドリビングホームの本質に迫りながらこれからの日本のために皆さんが参考にして下さる事を願います。

 既に日本でも間違った形でアシステッドリビングホームという名前が使われている背景も少しうかがえますが、正しいアシステッドリビングホームが公的・民間の機関を問わず普及されることを心より期待致します。

−追伸−

アシステッドリビングホームは日本語では何と言うのですかとよく尋ねられるのですが、直訳や意訳すると『ケア付賃貸住宅』『介護付生活施設』等とされてしまうのですが、私はアシステッドリビングホームは例えば日本にある特別養護老人ホームや老人保健施設がひとつの固有の名を持つようにアシステッドリビングホームもひとつの名であると考えておりますので、あえて訳する事は控えさせて頂きます。

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Director & Chief Counselor Yoshihiko Kawahara

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