ホスピス
 

● パパらんの贈りもの ●


提供:だいとう循環器クリニック 機関誌「花みずき」より

 幸と不幸は背中合わせにある。喜びのすぐ後には、悲しみが控えている。
私は、こんな体験を夫を通じて二度も経験しました。

 その1回目。
 私たち夫婦には、二人の子供がおります。1992年の春、長女が姫路の難関校と言われる公立高校を、そして長男が同じく姫路地方の進学校と言われる私立中学をそれぞれ受験し、そして合格しました。一家して大喜びした春でした。けれどもその喜びもっかの間、3ヶ月たった7月のある朝のことです。
 「どうしても朝のうちにしてしまいたいことがあるんや。」と言って夫は5時4O分ごろ車で出勤しました。朝食のあと片付けを済ませた私が、出勤の支度をしていると、突然電話のべルが鳴ったのです。こんなに朝早く何だろう、と思いっっ受話器をとった私の耳に入ってきたのは夫が事故を起こしたという病院からの知らせでした。生命に別状はありませんと言われたものの、急いでかけっけた病院のべッドに横たわる夫は両骨盤骨折との診断でした。そのため身動きはご法度、腰の両側に砂袋をあてがい、上を向いたままの姿 勢で体を動かせてはいけない状態でした。そしてその後、4ヶ月もの人院生活を送らねばならなくなったのです。おまけにこの年は、何と忙しいことに私も神戸へと転勤し、約1時間もかけて電車通勤するようになっていたのです。それぞれが、喜んで新しいスタートをきった時に起こったこの事件。夫が退院するまでの4ヶ月間というもの、入院している夫中心の生活が続いたのです。

 私も係長と言う立場上、定時を待つかのようにして退社することにためらいを持ちつつも、快く帰らせてくださる課の人々に感謝しながら帰る日々でした。また、高校に、中学にと進んだ子供たちも新しい学校生活を楽しむゆとりもそこそこに私が帰るのを待って、夫を病院に見舞うという日が続いたのです。

 思い過ごしかも知れませんが、私にはどうしても捨てきれない思いがあります。それは、医師に話すと、一笑に付されるかもしれないし、そうかもしれないと肯定されるとそれはそれでまた恐いので尋ねずにいるのですが、この年の夏、夫は勤務先の学校で人間ドックの申し込みをしており、夏休みに入るとすぐ医師会病院で検査を受けることになっていました。しかしそれもこの事故による入院で流されてしまいました。人院先の病院での肝臓機能検査で、肝臓が悪いと診断された夫は入院中かなり長時間にわたって肝臓の投薬を受けていました。夫はこの年の4年後の秋、大腸がんの肝転移により51才の命をとじました。医師に尋ねてみたいと思ったのは、既にこのころからがんの兆候があったのだろうかということです。事実、この事故からがんの発見までには4年が経過していますから、全く関係ないのかも知れないのですが、私はもしこの事故がなく人間ドックでがんが見つかっていたとしたら、夫は命を落とさずに済んだのではないかと思うのです。

 退院後、夫はそれまでの自動車通勤をやめ、朝は私の運転する車で近くの英賀保駅まで行き、そこから夫は下りホ一ムから電車に乗り竜野へ、私は上りホームから神戸へと出勤していくことになりました。それぞれのホ−ムに立ち、互いに手を振って「行ってらっしゃい」と言い合う毎日でした。
 このころのある日、夫は駅に着くなり、私に荷物を預け、トイレに駆け込み長ーい時間出でこないことがありました。おかげで私は二電車ほど遅れてしまったことがありました。家でもトイレの長いことが幾度かありました。だからよけいにこの頃から大腸がんはできていたのではないかと思ってしまうのです。でも仮にそうだったとしても、今更どうしようもないことで、立ち止まってなどいられません。やはりべ−ルに包まれたままが一番いいのかもしれません。
 以上のことがまず一番目の体験です。そして、次の二度目の体験で夫を見送ることになったのです。

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